24歳のときにリウマチを発症したフリー編集者の小西恵美子さん。リウマチに苦しんでいた母親を身近に見ていたため、「リウマチは治らない」と思い、太く短く人生を生きるしかないと徹夜をしても仕事の充実を優先するような生活をしていた。しかし、罹患して30年経った今が実は一番元気だという。そこに至るまでの長い道のりをお伝えしていく。

30代で海外旅行に行ったときにリウマチの痛みを感じなかった経験の「気づき」から、小西さんの闘病生活が変わっていった。一度腱を切って手術をすると、「治る」という経験が嬉しくて、「手術ジャンキー」にもなっていた。そこから、「薬漬け」の闘病生活がスタートする。会社から身体障害者手帳をもらうことを勧められ、1級と認定。しかしそこに待っていたのは、中心で働いていた職場環境から外される現実だった。やりがいのある仕事だけが支えだった小西さんは、会社を辞める決意をする。

【注】小西さんの体験としてリウマチの治療歴をお伝えする。薬に対する反応は個人差がある。

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ほかの生物学的製剤を提案される

退職して、リウマチはよくなったわけではないが、気分は楽になった。朝、身体のこわばりがあり、痛い時は寝る。時間を気にしなくていい。痛みを我慢して準備をして、会社に行かなくていい。しかし、長年、睡眠時間が短く、栄養バランスが悪く、ストレスを抱えた身体の状態は変わらなかった。

リウマチは免疫細胞が軟骨や滑膜を攻撃する物質を出して進行していく。免疫細胞の増殖に関わる物質の代謝を抑制するメソトレキサート(MTX)と抗炎症剤、痛み止めのロキソニンの服用は8年目に入っていた。MTXは世界標準薬であり、日本でも関節リウマチの薬物療法の中心だった。

生物学的製剤は自己成分を攻撃する物質を阻止する薬である。私もレミケードを点滴した。この時のことは連載の第6回で書いたとおりだ。効果があると期待したが、私には合わず、身体は異物ととらえたようでイライラした。身の置き場がなく、精神的に追い詰められた。その経験から怖くて2回目の点滴に進めない。

O先生から「生物学的製剤はほかにもあります。エンブレルで関節の腫れや痛み、炎症がほとんどない状態、つまり寛解の人もいる。使ってみてはどうですか」と提案された。

薬が合えばいいが、合わないと副作用がつらい。どの薬でも、効果も副作用も個人差がある。合う薬を探している間に副作用で正常細胞を壊して苦しみ、ほかの臓器に影響が出るのではないかと心配だ。不安は募る。試さなければ始まらないが踏み切れなかった。

薬の副作用の苦しさより、リウマチの痛さのほうが単純だ。よく効く薬は副作用も強いのが通説である。

顔に出たのは薬疹ではないか

まだ会社に勤めていた頃だが、顔を触ると1円玉ぐらいのザラザラした部分がある。睡眠不足のうえ、疲れが溜まって、肌が荒れたのだろうと気にしなかった。乳液を多めに使って潤いを与えてしのいでいた。

会社を辞めて睡眠が十分にとれるようになっても、よくなるどころかザラザラした部分が増えていった。鏡で見ると、白っぽい円と紫がかった円がいくつもある。ファンデーションを塗ると、その部分だけが浮いて馴染まない。お化粧をするほうが目立って汚い。

頭皮はかさぶたのような小さな塊がいくつもある。爪で触ると剥がれる。つい頭皮を確認したくなり、触ってはいけないとわかっているのにかさぶたを取ってしまう。

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口内炎が頻繁にできていた。しかも何ヵ所もある。見えないだけで、内臓の壁も荒れているだろう。胃が痛く、食欲がない。
生理不順がひどくなった。期間も短い。ホルモンバランスが崩れていたようだ。
子宮頚がんと言われ、レーザーで焼く手術をした。リウマチによる身体のこわばりや痛み、倦怠感とともに身体はボロボロだった。体調が悪いと気分も沈む。

顔は薬疹ではないか、これらの症状は数種類の薬の副作用ではないかと心配だった。私はとくにMTXが関係していると思った。