渋沢と北里(渋沢の写真はGettyimages、北里の写真はWikimedia Commonsより)

実は恐るべき性豪…渋沢栄一と北里柴三郎「新札の顔」の意外な共通点

「資本主義の父」「細菌学の父」の素顔

「資本主義の父」と「細菌学の父」

4月9日、2024年から日本の紙幣が刷新されることが突然発表された。

それぞれの肖像に選ばれたのは、一万円札には「資本主義の父」である渋沢栄一、五千円札には「女子教育の先駆者」の津田梅子、千円札には「近代日本医学の父」の北里柴三郎である。

日本ではおよそ20年周期で紙幣が刷新されてきた。今回も千円、五千円札は20年ぶり。ただ、一万円札に至っては1984年に聖徳太子から福沢諭吉になって以来40年ぶりの刷新というから、刷新されること自体には特に疑問はない。

でも、人選については違和感を持っている人もいるのではないだろうか。いずれも立派な功績を残した偉人であることは間違いないのだが、失礼ながら福沢諭吉などに比べてやや馴染みが薄いことは否めない。

そこで今回は、この三人の内、特に渋沢と北里について、どのような人物なのか。その人となりを中心に紹介していきたいと思う。

渋沢栄一の肖像が載った一万円札
北里柴三郎の肖像が載った千円札

渋沢と言えば、「日本資本主義の父」と言われる経済人であり、対する北里は「日本細菌学の父」といわれる研究者、まったく異なる分野で活躍した二人だが、実は二人にはいくつか共通点があるのをご存じだろうか。

生まれ年は、渋沢が1840年、北里が1853年と、渋沢が13年も早いが、亡くなっているのは共に1931年と同じなのだ。

その意味で同時代を生きた二人だが、調べた限り二人が直接出会っている形跡は確認できない。しかし、そのキャリアには意外なほど共通点がある。

 

野に下った男たち

第一は、お役所勤めを辞め、腹を立てて野に下っているという共通点だ。しかも、そこからが本領を発揮したという点も同じである。

まず、渋沢栄一は豪農の家に生まれたが、のちに一橋慶喜の家臣となる。慶応3(1867)年にその弟・昭武の後見人として渡欧しているから、かなり優秀だったのは間違いない。ヨーロッパで進んだ諸制度を学んだのち帰国、新政府に出仕して大蔵省の官僚となった。

上司の井上馨のもとで新暦への転換、鉄道の敷設、富岡製糸場(官営模範工場)の設置、郵便制度の創設、度量衡の統一、租税制度の改革、新貨幣制度や国立銀行条例の制定などを矢継ぎ早に手掛ける。こうした功績によりスピード出世したが、明治6年(1873)、軍事費の増大などに怒った栄一は「莫大な歳出超過で政府の財政は破綻する」という建白書を公にして、下野してしまう。