アメリカ国内でも歴史認識が違う理由
ユウコ 日本の歴史の教科書です。
グラック教授 何年生のときですか。
ユウコ 小学校5年生くらいのときでしょうか。
ニック 高校生のときに基礎的なことを学び、大学生のときに日本史を専攻して歴史書から深く学びました。あとは、米軍に入隊していたので、そこで第二次世界大戦について勉強しました。特に、諜報活動の失態について。
グラック教授 それで、諜報活動を連想したのですね。学校の歴史の教科書にはあまり書かれないことです。いつ米軍にいたのですか。
ニック 2007年から2015年までです。
グラック教授 次は、「ベン・アフレック」。これはどこから来たのか分かります。映画ですよね。
トニー そうです、映画から連想しました。でも最初に真珠湾攻撃について知ったのは、9年生のときの「アメリカ政府」という授業です。
グラック教授 9年生のときに「アメリカ政府」の授業?それはどこで学んだのですか。
トニー フロリダ州のタンパです。
グラック教授 「アメリカ政府」の授業で、パールハーバーにどう言及されたのですか。
トニー 正確には覚えていません。9年生の頃のことなので……。
グラック教授 分かりました。よく覚えていない、ということ自体も重要ですね。では、次。「アメリカが第二次世界大戦に参戦したきっかけ」というのはどこから?
トム 小学校の教科書です。小学4年生のときだと、正確に記憶しています。
グラック教授 本当に?どこで育ったのですか。
トム (カリフォルニア州)サンフランシスコの近くです。
グラック教授 なるほど。知らない人もいるかもしれませんが、アメリカでは教科書や学校のカリキュラムというのは州ごとに決められていて、それぞれ異なっています。例えばカリフォルニア州は2016年に歴史・社会科学のカリキュラム改正案を可決し、10年生で慰安婦について教えるように定めました。
この新しいカリキュラムはカリフォルニア州のアジア系アメリカ人や女性の人権活動家に配慮した結果であり、テキサス州のような保守的な州ではあり得ないでしょう。アメリカ独特の現象ですね。ほとんどの国には、国が定めた教科書というのがありますから。
家族の物語としてのパールハーバー
グラック教授 では次、「多くの犠牲者」と答えたミシェル?
ミシェル 私の母からです。祖父は米海軍でホノルルに配置されていました。
グラック教授 おじいさんは犠牲になったのですか?
ミシェル いえ、祖父は犠牲にはなりませんでした。
グラック教授 そうですか。私はちょうど今日、アイルランド出身の同僚からこんな話を聞きました。彼女はパールハーバーに思い入れがあると。彼女の父親がアイルランドの陸軍に所属していて、パールハーバーが起こったために故郷に戻ることになり、そこで彼女の母親に出会ったから、だそうです。
アイルランドは中立国だったのですが、彼女の話はあなたと同じように、家族のストーリーですね。家族として接点があるのですね。では、次に「映画」と答えたスティーブン?映画のほかに、どこかで聞いていませんでしたか?
スティーブン 実は、その映画で初めてパールハーバーの話を知りました。高校生のときで、数人でその映画をレンタルして見ました。
グラック教授 どこでですか?
スティーブン バンクーバーです。
グラック教授 カナダ人なのですね。
スティーブン はい、そうです。
グラック教授 なるほど。こういったバックグラウンドは、話をする上でそれぞれに違いを生んでいくでしょう。では、次?
ヒョンスー (「ハワイの日本人コミュニティー」という印象は)ハワイで博物館研究をしていた日本人の人類学者との出会いから来ています。その方には、学部時代、東京大学に交換留学していたときに会いました。
グラック教授 なるほど。東京大学に留学していて、そこで聞いたのですね。次は?
ユカ (「日本の外交上の失態」というのは)日本の小説から来たイメージです。山崎豊子の『二つの祖国』(新潮社、1983年)です。
グラック教授 テレビ(同書が原作のNHKの大河ドラマ『山河燃ゆ』、1984年)も見たことがありますか?
ユカ いいえ……。
グラック教授 あなたは若過ぎますよね(笑)。私はあのドラマを見ていました。二つの祖国というのは、日本とアメリカのことです。あれは日系アメリカ人について取り上げた最初で最後の大河ドラマだと言われています。あまりヒットしなかったので(笑)。