「去勢」され自死を選んだ天才数学者はこうして紙幣になった

今月の科学ニュース「チューリング」
熊谷 玲美 プロフィール

チューリングを演じたカンバーバッチは、2014年の「イミテーション・ゲーム」公開時のインタビューで、チューリングが受けた扱いに憤り、「チューリングを紙幣に登場させるべきだ」と語っていた

今回の決定についてカンバーバッチは「とてもうれしく、同時にほっとした」と感想を述べている

「世界にはまだ同性愛が違法とされる国が数多く残っている中で、今日はとても重要な日だ」

「名誉回復」にひそむ皮肉

「イミテーション・ゲーム」は、戦争が終結し、チューリングが仲間とともに、暗号解読の資料などをすべて燃やしてしまうシーンで終わる。チューリングたちのエニグマ解読は軍事機密であり、すべて処分するよう指示されたのだ。

チューリングが1954年に亡くなったとき、彼が「戦争の英雄」だったことを一般の人々は知らなかった。そのことがようやく世間に知られるようになったのは、1970年代になってからだという。

そんなチューリングにとって、紙幣の肖像になることは、カンバーバッチの言葉を借りれば「名誉回復」だといえるだろう。

同時に、時代の変化の象徴でもある。BBCのエディターは、チューリングの肖像が紙幣に使われるというのは、「これまでであれば不可能だったことだ。社会がどれだけ大きく変わったかを示すものといえるだろう」と述べている

時代の変化は、新旧の50ポンド紙幣を比べたときにも感じる。現在の50ポンド紙幣に使われているのは、18世紀に蒸気機関の普及に貢献したジェームズ・ワットとマシュー・ボールトンの2人。産業革命の立役者から、情報社会の草分けへのバトンタッチというのも、偶然とはいえおもしろい。

しかし、これからはキャッシュレスの時代。遅れているといわれてきた日本でさえ、スマートフォン決済が普及しはじめたほどだ。そんな時代に、「コンピューターの生みの親」のチューリングが紙幣の顔になるのは、皮肉ともいえる。

先ほどのグロスマン氏の寄稿には、読者からこんな投稿が寄せられた。

「たしかにそれは『勝利』ですが、50ポンド札にお目にかかることはほとんどありません。残念ながら、彼の才能を日々思い出すきっかけにはならないでしょう」

紙幣の肖像というのは、広場に立つ記念碑と同じかもしれない。それでも、不当な迫害を受け、名誉を傷つけられたまま亡くなったチューリングと、なし遂げられなかった研究のことを思うと、やはり彼が選ばれたのはよかったと思う。

チューリングマフラーを巻かれたチューリングの銅像 Photo by Getty Images