「去勢」され自死を選んだ天才数学者はこうして紙幣になった

今月の科学ニュース「チューリング」
熊谷 玲美 プロフィール

第2次世界大戦の英雄として有名なチューリングだが、現代的なコンピュータの生みの親ともいわれる。チューリングは1930年代に、今でいう「ソフトウェア」の概念を取り入れて、現在のコンピュータの基礎というべき「万能コンピュータ」を理論的に考えた。

戦後はイギリス国立物理学研究所で、実際に動くコンピュータも設計している。

さらにチューリングは、1950年代の論文で「マシンは考えることができるか?」というマシンの知性についての問題を提示して、その後の人工知能研究に大きな影響を与えた。

新50ポンド札のデザインでは、チューリングの肖像のほかに、暗号解読マシン「ボンベ」の設計図や、チューリングが戦後開発したコンピュータの試作機「Pilot ACE」の写真、「万能コンピュータ」の論文で使われていた数式などが使われる。

Pilot ACEチューリングの設計をもとに1950年に完成した「Pilot ACE」 Photo by Getty Images

そしてもう1つ、肖像の下に刻まれるのは、1949年にチューリングが語った、「これは今後やってくるものの前触れにすぎず、これからできあがるものの影にすぎない」という、未来を見通していたかのような言葉だ。

LGBT運動の象徴

米「タイム」誌の「20世紀に大きな影響を与えた100人」にアインシュタインらとともに選ばれるなど、チューリングの科学的な業績はこれまでも評価されてきた。

同じくらい注目したいのは、チューリングが同性愛者として迫害を受けていたことだ。

1952年、自宅に泥棒が入ったのがきっかけで、チューリングと18歳の男性との同性愛関係が発覚する。当時のイギリスで、同性愛は違法だった。逮捕されたチューリングは、服役する代わりに、女性ホルモン投与による化学的な「去勢」処置を受けさせられた。

そして1954年、自宅で青酸カリによって自殺。41歳という若さだった。

その後、同性愛が合法化されたイギリスでは、チューリングへの政府の公式な謝罪を求める運動が高まり、死後55年目となる2009年に、当時のゴードン・ブラウン首相が、政府がかつておこなった「非人道的な扱い」を謝罪した。2013年には、エリザベス女王が死後恩赦を与えている

これに続く形で、イギリス政府は2016年、過去に同性愛で有罪となった故人数千人を自動的に赦免した。この措置は「アラン・チューリング法」と呼ばれている。

LGBT運動の象徴ともいえるチューリングが紙幣の肖像になることは、「平等の勝利」でもある。新50ポンド札の肖像の選定プロセスにかかわり、自らもLGBTのパートナーを持つエミリー・グロスマン氏はそう評価する。

「(チューリングを紙幣に選ぶことは)この国が、あらゆる人が平等に、敬意を持って扱われるべきだと信じていることを伝える、強力なメッセージだ」(グロスマン氏)