# 政治・社会

民家で行われた腎臓移植手術の後、夫は再び腎臓を取り出された

臓器移植の闇を追って・その2
高橋 幸春

そうした状況を一変させたのが、1978年にスイスのサンド社(現ノバルティスファーマ)によって開発されたシクロスポリン(製品名ネオーラル)という免疫抑制剤だった。

80年代に入ると、腎臓移植後の患者の生存率は95パーセントを越え、さらに藤沢薬品(現アステラス製薬)が90年代に入って開発した、タクロリムス(製品名プログラフ・グラセプター)という免疫抑制剤によって、移植はより確かな医療として確立された。

血液型が違っても、HLAのタイピングに一定程度の差異があっても、移植は行われるようになり、高い成功率を維持できるようになっている。

 

次々に変わった渡航移植先

「私たちはNの言葉を疑うことなく信じてしまいました」

山川武さんはベッドの上で、やせ細った姿で取材に応じてくれた。

Nの言葉を信じたのには理由がある。

「実際にベトナムで腎臓移植を受けた人を紹介してもらい、その人の話を直接聞くことができたのです」

山川さんはNを信じて、800万円を支払った。

しかし、Nの話はそれから二転三転する。

「ベトナムでは移植ができなくなったと急に言われ、次から次に渡航移植先が変わりました」

インド、フィリピン、インドネシア、そしてパラオまで候補に挙がった。その度に今度こそと山川さん夫婦は思ったが、「ドナーが見つからない」とか「国の方針が変わった」などの理由で、移植は3年間引き延ばされてきた。当然、Nに対する不信感は増幅していく。妻の良枝さんは納めた「頭金」を返還するように求めた。

「途中でお金を返してほしいとお願いしましたが、それはできないと断られました」

そして昨年12月、Nから突然連絡が入った。

「パキスタンで移植が受けられます」

山川さん夫婦はその条件として6万ドルを要求された。「契約書」に則って10万円ずつ支払おうとした。

「分割だとさらに移植手術は遅れる、とNから言われました」

良枝さんがNとのやり取りを明かした。

親戚や銀行から金を借りて現金6万ドルを用意した。

普通の民家で行われた移植手術

こうして山川さんはひとり、パキスタンの首都・イスラマバードに渡った。滞在先は「ゲストハウス」と呼ばれる大きな民家だった。大きな部屋にベッドが置かれ、すでに数人の日本人が移植を待っていた。

ゲストハウスに入ると、「カーテンを絶対に開けないように」と責任者らしきスタッフから注意を受けた。

「しまいには夜なのか、昼なのかわからない状態になっていた」

山川さんは日本で透析を受けていた。イスラマバードでも1日おきに透析を受けなければならなかった。

「透析を受けた病院はかなり大きな病院で、そこで透析を受けましたが、その費用は同行したスタッフが直接看護師に払っていました」

ゲストハウスでの待機は2週間に及ぶ。

Nはイスラマバードに来ていたが、山川さんが移植を受ける日には日本に帰国していた。2月6日夜、山川さんは移植をすると告げられる。ゲストハウスのスタッフに、車に乗せられて移動した。

「車で20~30分は走ったと思う」

山川さんは透析を受けた病院と同じように高層ビルを想像していたが、連れていかれたところも普通の民家だった。