――「ブス」という単語自体にまつわる印象を変えたい、ということでしょうか。

山崎:「ブス」を自分のものにしたいわけです。

例えば、「ブスキャラ」で売っているお笑い芸人さんでも、これまでは美人に対してキャットファイトを仕掛けるとか、イケメンがきたらキャーって言うとか、ステレオタイプなブスを演じることが主流の仕事だったけど、これからはブスを笑わせるブスも出てくると思うし、自分のセンスでブスを面白がれる芸人さんが出てくると思う。

同じ「ブス」ってものをモチーフにしても、こんな切り口でお笑いが作れるんだ、っていうのがどんどん出てくると思う。

――「ブス」という男性からの誹謗を受け入れ、卑屈な笑いに持っていくのではなく、社会的価値観を笑うというか。

山崎:そうです。社会からこういう風に見られてるんだよねっていうのをうまく笑いに持っていくというか。求められてるブスを演じるんじゃなく、社会の既存の価値観を外側から見て、笑いに持ってく。

同様に、ただ男性側を責めたり、抗議したり、悪者にして噛み付いても社会は変わらないと思うんで、文学者としては、「ブス」という言葉を自分のものにして、ブスを使いこなしたいです。新しい切り口を探したい。

――本書の中でも、ただ男性が悪いわけではない、というか、女性VS男性という構図に持っていく訳ではなく、男性への偏見についても言及しています。そのほか、「おじさんバッシング」についてや、女性が加害者になり得ること事についてなど、容姿のみならず幅広い話題に言及されていますね。

山崎:この本の中で「間違えて女性専用車両に乗った男性を責めてはいけない」と書いた章があるのですが、それについて、「体制側に迎合するのか」というSNSのコメントを見かけました。

男性を擁護する話をすると、体制への迎合と捉えられることがある。けれど私は、女性の味方って気持ちもないし、男性の味方ってつもりもなく、ただみんなが生きやすい社会になるようにという気持ちがある。それをどう書けばいいのかな、ということでは悩みました。

例えば、「おじさん」を安易にバッシングしたり、「ハゲ」を笑ったりするとかも、ルッキズムの問題です。それでいうと、ブスである自分が加害者になる可能性もある。

「被害者―加害者」あるいは「弱者―強者」は常にはっきり分かれているわけではなく、あるシーンではこうだけどあるシーンでは逆になっているかもしれない、ということは多々あるので、ブスだから常に被害者というわけでは無いよ、というのは強調して書きたかった。