なぜ勝てない戦争を…巨大戦艦「大和」は日本のガラパゴス化の象徴だ

日本と日本人のある面が見えてくる
現代ビジネス編集部

戦後、「大和」は力道山と共に日本人を勇気づけた

後藤 結局のところ、日本海軍にはグランドデザインがなかった。今おっしゃったように、日本には燃料がなかった。さらに燃料を運ぶ高速輸送船もなかったんです。真珠湾攻撃のときも、輸送船が足りないので、駆逐艦などにドラム缶に入れた燃料を積み込んで出ているんです。基本的に日本海軍は、近海決戦というつもりでいたので、輸送船などに振り分ける物資を他に割り振って闘っていたんです。

 

神立 そうですね。真珠湾攻撃で言えば、6隻の空母に搭載された零戦の20ミリ機銃弾は1機あたり150発、つまり出撃1回半の分しか用意できていない。真珠湾で使った浅海面用魚雷もようやく間に合ったのが、1回分の40本でした。反復攻撃しようにも、あとは爆弾と小さな7.7ミリ機銃弾しかない。弾薬も最初からギリギリだったんです。

後藤 「大和」型の戦艦の重油搭載量が6300トンです。それに対してアメリカの「アイオワ」型は7500トン積めるんです。排水量自体は「大和」の方が1万トン多いんですが、アメリカは航続距離を考えて、設計されている。さらにサポート体制が組まれているので、日本に比べると運用の幅が非常に広いんです。それは、日本が貧乏で割り振れないということはあるんですけど……。持てるものと持たざるものの差というのは、作戦にも如実に現れてしまうんですね。

神立 ご近所にしか出かけられないけど、懸命に着飾ろうとしたというイメージを私は受けますね。ただ、「大和」最後の出撃を前に、第二艦隊司令長官・伊藤整一中将は、こういう世界一の戦艦を作り得たことは民族の誇りとしてよいということを言っているんです。当時から、エジプトのピラミッド、万里の長城、戦艦「大和」を、世界の三バカだと揶揄する声がありました。無駄に大きいというたとえですね。

しかし、伊藤中将は、国家が栄えたとき、その象徴として偉大なものを造る、こうした戦艦を造りえたことは大いに民族の誇りとしてよいと、「大和」を見学に訪れた海軍兵学校の皇族生徒・賀陽宮治憲王と、指導官として付き従った副砲長の清水芳人少佐に語ったそうです。

神立尚紀氏

後藤 記念碑的な意味としてとらえる向きはありますが、戦艦「大和」の美しさは、機能美の美しさだと思います。最小の艦型で最大の攻撃力を追求している。

神立 戦艦「大和」は大きいと言われます。よく東京駅の大きさと比較されたりしますけど、そうやって比べるとそれほど大きいとは感じない。時代と用途が違うので単純な比較はできませんが、いま横須賀にいる米海軍の空母と比べても決して大きくはありません。

後藤 兵器が美しいと感じるものは、無駄なものを排除しているから美しいと感じる。「零戦」が美しいとか、「スピットファイア」が美しい、「メッサーシュミット」が美しいというのは、最小限度の必要なものしか付いていないからです。大和も同じだと思います。

神立 何を必要とするのか、何を重視し何を切り捨てるのかというところに、それぞれのお国柄が出ている。それが兵器に美を見いだす人にはたまらないところと映るのではないか。

ただ、「大和」「武蔵」は、ほとんどの日本人は戦争が終わるまでその存在を知らなかったんです。「零戦」にしても、制式採用されて4年を経た昭和19(1944)年11月に名前が発表されています。それまでニュース映像などに映っていたものでも、「海軍新鋭戦闘機」としてしか紹介されていませんでしたからね。

その点、大和は最後まで機密が保たれていました。知っていたのは、軍港地の近くの人だけでしょう。明治38(1905)年、大阪生まれの僕の祖母は、僕が子どもの頃にプラモデルで戦艦「大和」を作って見せたら、「何や、これ」と。世界一の軍艦だと言っても、「そんなん、知らん」。世界一の戦艦は「長門」だと信じて譲らないんです。

後藤 戦前から、「長門」「陸奥」が日本海軍の象徴として一般の人には知らされていました。戦艦「大和」は開戦後に就航していますから、情報が出なかった。

神立 戦艦「大和」が国民的に有名になったのは、GHQの呪縛が解けて、昭和27(1952)年8月、乗組員だった吉田満少尉が書いた『戦艦大和ノ最期』が出版されてからですね。この本は、「現代の平家物語」と評されたりもしますが、日本人好みの「滅びの美学」があり、それが、「戦争には負けたが世界一の戦艦を持っていた」「物量に負けたが技術では勝っていた」と思いたい日本人の心情にマッチした。これは多分に負け惜しみでしょうが。

それ以来、戦艦「大和」は、敗戦で「ガイジン」コンプレックスに打ちひしがれていた日本人を勇気づけるシンボルとなっていきました。テレビの本放送が始まって、アメリカ人の巨漢レスラーをなぎ倒す力道山の空手チョップに人々が熱狂したのはこの翌年のことです。だから、戦艦「大和」や「零戦」は、戦後の日本人にとって力道山のような存在だったんですよ。

——「アルキメデスの大戦」の主人公である数学の天才・櫂は架空の人物ですけど、戦艦「大和」が建造されると必ず戦争になると危機感を抱くところが、建造反対の発端でした。

神立 漫画でも映画でも、戦艦「大和」の建造を阻止しようと、櫂は自分が大嫌いな軍人になりますね。なぜそこまで阻止しなければいけないかと言うと、日本がそこまで貧乏だったからというところに行き着くと思うんです。

後藤 予算をどこに割り振るのかというところですよね。

神立 国家予算が2倍、3倍あれば、そこまで必死になって阻止することもなかったのではないかという気もします。かといって、戦艦「大和」や「武蔵」を造らずにそのぶんを空母や航空機に割いたからといって、アメリカと戦争して勝てたかというと、それはないわけですが。

後藤 連合艦隊の参謀長だった福留繁中将がおっしゃっているのがすべてだと思うんです。日本軍はなぜ負けたのか。それはアメリカと戦ったからだと。

後藤一信氏

神立 それはその通りだと思います。戦前の海軍兵学校の卒業生は、全員が少尉候補生のとき遠洋航海に行って、世界を見てきているんです。中学校時代の同級生が移民としてアメリカに渡っていて、寄港したときに自家用車で迎えに来てくれたとか、同郷の日系人が自家用飛行機で空から街を見せてくれたとか、サンフランシスコの金門橋(ゴールデンゲートブリッジ)を見てびっくりしたとか。そういう話が残っていますが、世界の広さと多様さ、そして国力の違いは明らかに肌で感じていました。だから誰もアメリカと戦争して勝てるとは思っていなかった。

後藤 ゴールデンゲートブリッジは2.7kmありますけれども、建設費は戦艦「長門」建造費のほぼ2倍です。日本は戦艦「長門」「陸奥」を造ってヒーヒー言ってた頃に、アメリカは同額を民間インフラに投資して民需を更に拡大させる余裕を見せる。国家予算で考えると50倍ぐらいのレベルです。勝てるとは思わないでしょうね。

神立 山本五十六なども、最初にバンッと打撃を与えて、なるたけ優位な講和に持ち込もうという考えだったんです。でも、それがかえって相手の闘志に火をつけた。政府や陸海軍全体としても、戦争を始めるときに止め時を考えていなかったという点が……一番の問題でしょうね。

後藤 そこなんです。日中戦争のときもそうですけど、海軍も陸軍も政府の外交を認めないというところがあるじゃないですか。政府が外交をできないんですよね。統帥権を持ち出されると政府は何もできない。天皇と軍が直結している統帥権というシステム自体がまずかった。それに、太平洋戦争を始めるというときに、陸軍は、海軍が戦えないと言ってくれるんだったら陸軍も鉾を収めると言っているんです。ところが海軍としても何十年と予算を使って艦を造ってきている。そこで戦えないとは言えない状況なんですね。勝てないとわかっているのに、陸海軍共にそれを言い出すことができない。

神立 長期的なプランを立てることができる人が政府にも陸海軍にもいなかった。