昭和20年4月7日、被弾し、満身創痍となりながら対空戦闘を続ける「大和」

なぜ勝てない戦争を…巨大戦艦「大和」は日本のガラパゴス化の象徴だ

日本と日本人のある面が見えてくる

国家予算を無視して、巨大戦艦「大和」を建造しようとする海軍首脳部と、その建造は開戦につながると、データを駆使して反対する数学の天才——戦争を題材としながら物語はディベートで進んでいくというユニークな漫画『アルキメデスの大戦』が映画化され、7月26日(金)全国一斉公開される。

物語の一方の主役である戦艦「大和」は、戦後も日本を象徴する存在でありつづけた。「大和」は何故建造され、何故沈まなければならなかったのか。『アルキメデスの大戦』の漫画と映画の監修を勤めた後藤一信さんと、数百人の旧日本軍関係者に取材している神立尚紀さんによれば、それを知ることで、日本と日本人のある面が見えてくるという。

 

アメリカに対抗する苦渋の解としての巨大戦艦

後藤一信(以下、後藤) 神立さんは、現代ビジネスの連載を読んでいてもわかりますが、戦争体験者に直接話を聞いてそれを書いていらっしゃる。いわば一次資料に徹底している。そこがすごいなと思います。孫引きが多くなると、どうしても嘘が語られるようになってしまう。

神立尚紀(以下、神立) 後藤さんは漫画『アルキメデスの大戦』の監修をされているそうですね。どういう場面を担当されているのですか?

後藤 主に軍事関係の監修を行っています。ストーリーラインのご提案をすることもありますね。その流れで、今回公開される映画『アルキメデスの大戦』も軍事監修をすることになりました。

神立 同じ山崎貴監督の『永遠の0』のときには僕も監修者として現場に詰めましたが、どうしても所作や小道具のひとつひとつが気になってしまう。小うるさいやつだと思われたかもしれない(笑)。後藤さんはどういう経緯で、漫画の監修者になられたのでしょうか。

後藤 最初はPCのゲームを作っていました。『沈黙の艦隊』をプレイステーション用のゲームで作るときに講談社さんと一緒に仕事をすることになりました。かわぐちかいじさんが『ジパング』を描くときに、軍事系の監修をさせてもらい、そのご縁で三田紀房さんの『アルキメデスの大戦』の監修をすることになったんです。

神立 映画も魅力的な俳優が演じていらっしゃるし、漫画も面白く読ませていただきました。次がどうなるのか、楽しみになる漫画です。

映画の主演は、日本アカデミー賞主演男優賞に輝く菅田将暉、監督は『永遠の0』『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズの山崎貴。 漫画は現在、16巻まで刊行中

後藤 『アルキメデスの大戦』は、戦艦大和の建造に関して、反対派と賛成派の頭脳戦を三田さんが描いています。映画で菅田将暉さんが演じている主人公は、大型戦艦よりも空母が必要だと考える山本五十六に見込まれて海軍に入った天才数学者という設定です。主人公の櫂直は、戦争反対の立場から、「大和」建造を阻止しようとその頭脳を使うのです。

神立 それにしても戦艦「大和」というのは、戦後70年以上経っても人々の中に様々な印象を刻み続けている。世界一の戦艦という人もいれば、無駄なものを造ったという人もいますね。

——巨大戦艦「大和」はどのような経緯で建造されたのでしょうか。

後藤 当時、日本は貧乏国だったので、数で攻められると太刀打ちできない。量に対抗するには質でアメリカを凌駕するしかないと考えていました。アメリカ東海岸から日本に艦隊を送るとなるとパナマ運河を通る必要があり、戦艦の幅に制約がありました。当然、そこを通れないような大型砲を搭載した戦艦は造らない。それを見越して46cmの主砲を擁した巨大戦艦を造ろうとしたのです。いかにしてアメリカに対抗するかという苦渋の解としての巨大戦艦だったと思いますね。

昭和16年10月20日、宿毛沖で全力航行中の「大和」。世界最大最強の戦艦として誕生した

神立 日本は、日清・日露戦争に辛くも勝利しました。当時は海軍の主力は戦艦でしたから、各国は戦艦建造を競っていました。しかし、1914年から4年も続いた第一次世界大戦は、世界経済を疲弊させ、軍縮の流れができていきます。1922年、ワシントンで開かれた軍縮会議で、第一次大戦の戦勝国5ヵ国(米、英、仏、伊、日)の主要軍艦のトン数制限をアメリカ、イギリスの主導で決めてしまいますね。

後藤 戦艦は3万5000トン以下のもの。主砲は16インチ。

神立 戦艦の総数についても、米英が10に対して、日本は6割しか認めない。海軍の中には、国力から考えると相手が我慢をしている数字ととらえる人もいましたが、屈辱ととらえる人も多くいました。

このワシントン海軍軍縮条約、それに続き、昭和5(1930)年に結ばれた、補助艦保有量制限を主な目的とするロンドン海軍軍縮条約の期限が切れ、建艦制限が失効した昭和12(1937)年より「大和」の建造は始まるわけですが、日本海軍のなかでは、まともにアメリカ海軍と闘っても勝てないということがわかっている。ではどうするのかというと、日露戦争時の日本海海戦の二匹目のドジョウを狙っていた。アメリカが攻めてくるのを日本近海で待ち構えて闘う。サイパンなどの島を不沈空母に見立て、陸上攻撃機や潜水艦の攻撃で敵の戦力を漸減させて、互角の兵力になったところで近海において艦隊決戦で撃滅しようという作戦です。

昭和15(1940)年に卒業した飛行機乗りの卵である予科練卒業生へのはなむけの言葉が「お前たちには気の毒だが、飛行機など添え物にすぎぬ。海戦の雌雄は戦艦の決戦で決まる」と。日米開戦の前年でさえ、教官の認識は、まだこんなものでした。航空機はまだそれだけ軽んじられていました。

後藤 日露戦争の日本海海戦では、速射砲で勝っていた。大砲の口径じたいはロシアの方が凌駕していますから、訓練の練度と速射砲の勝利です。また、当時の日本の同盟国イギリスの協力がありました。ロシア船の石炭補給を各地で阻止してくれていた。ですから、日露戦争の勝利というものは、イギリスと同盟をしたということが大前提であるんです。

また、空母の配置に関しても、機動部隊として集中運用されるようになったのは、真珠湾攻撃のときが初めてなんですよね。それまでの空母の運用法は、各艦隊に2隻ぐらいを同航させて、艦隊直掩防空任務に当てるとするのか基本でした。それと、戦艦や巡洋艦に搭載されていた航空機は、弾着観測を任務としていた。真珠湾攻撃では、6隻もの空母を集中運用したのが画期的だったんです。

神立 もともと、「零戦」も、海戦のとき、味方艦隊上空に飛来する敵の弾着観測機を撃墜するのが当初の開発目的でした。そのために、艦隊上空を長時間飛べる航続力が必要とされたんです。

やがて中国大陸で事変が始まり、戦闘機の用途も広がっていくんですけど、それ以前の海軍で、航空機の重要性を認識していたのは、山本五十六や大西瀧治郎ほか数えるほどしかいなかったんじゃないでしょうか。

後藤 日本は、意外に航空機の重要性は早くから認識していたのではないかと思います。アメリカは大戦中に12隻(ノースカロライナ型戦艦2隻、サウスダコタ型戦艦4隻、アイオワ型戦艦4隻、アラスカ型巡洋戦艦2隻)もの戦艦を造っていますが、日本は「大和」「武蔵」のみ、大和型戦艦の3番艦「信濃」は、 空母に改装されていますしね。

神立 それはたぶん、国力の母数が違うということではないでしょうか。アメリカは12隻の戦艦を造ったうえに、航空機を造る国力があった。それらがみんな機能しています。

後藤 確かにそうですね(笑)。

神立 よく言われることですけど、ガダルカナルに米軍が上陸して占領されたとき、旧式の戦艦「金剛」や「榛名」で飛行場を艦砲射撃するより、「大和」や「武蔵」を使うべきだったのではないか、と。でも、日本には「大和」「武蔵」を自由に動かすだけの燃料がなかったのです。アメリカは造って働かせる国力がありましたが、日本にはせっかく造ったものを活用する資源もなかった。巨大戦艦を造る目的を考えたときに、背景となる国力のことを考えないといけないはずなんですが。