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# 外国語

「英語の社内公用語化」ブームが、ひそかに大失敗に終わりそうなワケ

壮大なバカげた実験がまもなく終わる

世界一の外国語オンチは米国人である

かなり前から「日本人は英語音痴で国際化に乗り遅れている」などというくだらない主張がまかりとっている。

もし、日本人を英語音痴と呼ぶなら、英米人はそれに輪をかけた「日本語音痴」で目も当てられない。

多くの日本人が接する外国人というのは、来日して長いとか、日本が好きで一生懸命勉強した人々が多いから日本語が上手だが、彼らがそれぞれの国の標準では無い。

逆に日本人でも、英語圏で生まれ育ったり、英語圏の文化が好きで留学した人々は、もちろん流ちょうな英語を話す。

問題は、一般的な国民の語学の習熟度である。

不思議とあまり語られないが、英米の学校教育でも「外国語」が重要な位置を占める。

例えば、英国・米国ではフランス語が中心だが、フランス語を流ちょうに話す英米人など極めて特殊である。彼らのフランス語と来たら、「ジャングリッシュ」などと揶揄される日本人の英語どころではない。ほとんど一言もフランス語を話せないのである。

だが、英米でフランス語教育の問題が語られることは無い。「教養・思考訓練」の1つぐらいにしか考えていないのだろう。

 

ただ、ジーン・ケリー主演の「巴里のアメリカ人」(1951年)を持ち出すまでも無く、米国人は相当なコンプレックスをフランス(人)に持っているし、英国もフランスの栄華の後に世界帝国を構築しているので、長年敵対してはいるものの一種のあこがれを持っている。

だから、英語の中でやたらフランス語を使って箔をつけようとするのは、日本人がカタカナ語(横文字)を使ってかっこよく見せようとするのと一緒である。

しかも、日本語と英語はその成り立ちも文法も表記する文字も全く違うが、英語とフランス語は大きくくくればインド・ヨーロッパ語族であり、それぞれの言葉は、言ってみれば方言にしかすぎない。同じアルファベットを使い、文法も似通っている。

つまり日本古代語が理論的源流のインド・ヨーロッパ祖語にあたり、現在の各地の日本にそれぞれの方言があるようなものだ。確かに、東北の老人と九州の古老の会話は意思の疎通が困難だが、同じ文法で同じ文字を使うお互いの言葉を学ぶのはそれほど難しくはない。

さらに、いわゆる中国語は、北京語以外に大きく分けて4つあるが、北京語だけの話者と広東語だけの話者との間では意志の疎通が困難だ。しかし、紙に書けば概ね話が通じる。