出生前診断というと、35歳以上の女性が選択して受ける新型出生前診断や羊水検査などを思う人が多いかもしれない。しかし進歩が著しいいまの医学では、通常の診察で出生前に胎児の先天性疾患の可能性を察知するケースが増えている。つまり、出生前診断は実はすべての妊婦に深く関わっているのだ。

ジャーナリストの河合蘭さんは、著書『出生前診断-出産ジャーナリストが見つめた現状と未来』で「科学ジャーナリスト賞2016」を受賞している。長く出産の現場と医療の現場を取材し続けてきた河合さんは、医療の進歩とともに「母たちの選択肢」や「自分で決めること」がないがしろにされがちな現状も多く目にしてきた。そこで最新の現場から、様々な母たちの姿と、彼女たちに寄り添う医療従事者を紹介していく。

今回はダウン症という診断を受けたのち、出産することを決意した夫婦の父親の率直な気持ちをお伝えする。

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「こんなことができるようになったのか」

田口直人さん(仮名)の膝には、間もなく3歳になる長女の香織ちゃん(仮名)がいて、you tubeのお気に入り動画を見ていた。ダウン症がある香織ちゃんは、まだ言葉は出ない。でも、他の人が話すことはよくわかるようになってきた。言葉の力が伸びてきたのは、療育のおかげだと思う、と直人さんは言った。その時、香織ちゃんは、見ていた画面で広告が始まるやいなや、サッと小さな人差し指を伸ばし、画面の右下をト、トンとタップして広告をスキップした。

「最近は、こんなことも覚えてしまって」

と笑う直人さん。

子育てが楽しいと感じるのは『あ、こんなことができるようになったのか』と思う時ですね」

妊娠中から明確にダウン症だった

田口さん夫婦は、香織ちゃんがダウン症であることは、妊娠中からはっきりわかっていた。でも、出産することを決めた。ダウン症が判明した人のうち妊娠を継続する妊婦は1割程度しかいないと言われているが、田口さんの妻・沙織さん(仮名)はそのうちの1人だった。

2人ともフルタイム勤務で共働きをしているが、時間を捻出して、香織ちゃんに「療育」と呼ばれるトレーニングを受けさせている。ダウン症がある子どもは、かつては能力を伸ばす機会に乏しかったが、今はそうではない。ダウン症の子どもの特徴に精通した専門家の下で「早期療育」を行えば、知力も伸び、身体の使い方も上手になっていく時代だ。

ただ、療育を受けるためには大きな病院へ連れていかなければならず、そういうところは土日はやっていない

香織ちゃんは、療育だけではなく、小児科専門の遺伝科、循環器科、耳鼻科などさまざまな専門医がいる県立の大きな小児医療センターにも月に1~2度行く。定期検診のためで、こちらも外来診療はすべて平日だ。

こうしたことが田口家にとって大変になってきたのは、やはり、母親の沙織さんが妊娠前からの職場に復職してからのことだ。

沙織さんは、自分が病院や療育に行って医師にしっかり質問したいと思うが、それには有給休暇が少なすぎる。やむなく、復職後は、直人さんと交互に有給休暇をとってやりくりしている。真面目でストレスを感じやすい性格の直人さんにとっては頻繁に有給休暇をとることがかなりの重荷なのだが、沙織さんの有給だけではどうしても足りない。 

「こんな悩み、今まで話したことはないんですが」と前置きをして、直人さんは話し始めた。