昭和を代表する名脇役…怪優・殿山泰司「自称・三文役者」の美学

大友良英×新藤次郎×田口トモロヲ
週刊現代 プロフィール

含羞の人

大友 映画だけでも300本以上の作品に出演しているから、どれを代表作とするかは難しいけど、個人的には新藤監督の『裸の島』('60年)と『人間』('62年)を挙げたい。

珍しく主役を演じた両作品は貴重な存在です。特に、『裸の島』は台詞がほぼなくて衝撃的でした。

新藤 孤島で自給自足の生活を行う家族を描いた作品ですね。国内外で高く評価されました。当時、肝硬変を患った殿山さんは撮影中に断酒していたのですが、内容とシンクロして演技に悲壮感が滲み出ている。

殿山さんが妻(乙羽信子)を殴るシーンや桶一杯の水を運ぶシーンは必見です。リアリティがありすぎて、海外では実際の家族を追ったドキュメンタリーだと思われているんです。

 

大友 芝居とは思えない迫力がありました。もともと、若いころの殿山さんはあそこまで味のある役者ではありませんでしたよね。

僕の印象では、'50年代の終わりくらいから急激に存在感のある脇役になった。禿げ度合いの進行や、アル中になった時期とも被っているのかな。

新藤 近代映画協会の設立も関係しているかもしれません。これは、松竹を飛び出した吉村公三郎、新藤兼人という二人の映画監督が、「自分たちが撮りたい映画を作ろう」という決意で誕生させた組織です。彼らと仲の良かった殿山さんも参加していました。

大手配給会社にいても仕事ができる役者なのに、あえて独立プロに来たのは、仲間を大事にする気持ちと、何事にも縛られずに自由に演技をしたいという気持ちが強かったのでしょう。

田口 エッセイなどを読んでも、その姿勢は貫かれていますね。でも、それを声高に言うわけではないのが彼のお洒落さであり、洒脱さなんです。

時々文章で、自由を縛るような現代社会に反旗を翻すようなことを書くんだけど、その後に「イケネエ! 一流になっちまうところだった」なんて、いまでいう〝ノリ突っ込み〟で笑いにしてしまう。

大友 まさに、その通りです。極めて批評的な目を持っているのに偉そうにしない。逆に照れを見せるセンスが好きでしたね。

自らを「三文役者」と言ってしまう態度にも通じています。こうした含羞は、日本人特有のものなんだけど、殿山さんが最高峰だと思う。

新藤 芝居に関しても、監督に言われたことをやるだけで、自分から提案するところは見たことがない。かといって、監督側が彼に何か特別な演技や表現を求めていたという話もなかったですね。

三味線の師匠の役で『讃歌』('72年/新藤兼人監督)に出演していたときにも、普通、バチの持ち方くらいは練習するけど、殿山さんはまったくしてこない。

それでも、出来上がった作品を見ると、ちょっとした首の動きや雰囲気なんか、三味線の師匠にしか見えない。不思議だったなあ。

田口 スタッフや作品自体を信用しているからだと思いますよ。「オレが上手く弾けなくても、映像でなんとでもなる」とわかっている。

もちろん、三味線を弾くこともできたと思います。でも、そんな殿山さんなんか、みんな見たくない(笑)。

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大友 殿山さんは、裸体を晒すことにまったく抵抗がない役者でもありました。その証拠に、新藤監督や黒澤明監督といった巨匠の作品はもちろん、ポルノ作品まで出ています。

特に印象的なのは、大島渚監督の『愛のコリーダ』。海外でも高く評価されました。彼は、ポルノも芸術作品もすべて同じように考えていたのでしょう。

新藤 たしかに、よく脱いでいましたね。ただ、考えもせずに裸体を見せていたわけではありません。殿山さんはインテリで自然崇拝的な意識が強く、裸体は美しいものだと思っていた。

当時の日本の映画界では毛が出ただけでアウト。どんな撮影でも必ず前貼りをつけていました。それに対して殿山さんは「ふざけるな。何が常識だよバカヤロウ!」と局部を丸出しで演じた。根っからのアナキストです。

大友 縛られることを嫌った殿山さんは、一方で声がかかったらどこへでも行くし、仕事は選ばなかったと言われています。ただ、エッセイの中で、宗教団体の教祖を描いた作品への出演依頼は断ったと書いていますね。

新藤 彼は無神論者だからね。あとは権力的なものが嫌いだったのでしょう。主流と呼ばれるものに対して、アンチを張る人でもありました。 

殿山さんといえば、ジーンズ姿のイメージが強いですが、常に「リー」を穿いていました。当時はリーバイスが流行と言われていたのに、敢えてリーにこだわっていたんです。ファッションにも筋を通した、根っからの洒落者でした。

田口 10日間位のロケでも、ポケットにミステリーの文庫本だけ入れて、手ぶらで来ていたというのもカッコいいです。