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公約は破れ?「選挙と群衆」の考察

【5分de名著】ル・ボン『群衆心理』④
古今東西の名著を手軽に――「講談社学術文庫」の書棚から抜き出して「チラ読み」していただく連載企画、今月はギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』から。最終回は、第三篇第四章「選挙上の群衆」から。群衆を籠絡するにはどうすればよいか? ネガティヴ・キャンペーンも実現不能な公約の空手形も、なんでもあり?!

選挙人たちの欲望や虚栄心を衝く

候補者が具えるべき第一の資格は、威厳である。人格的威厳にとってかわることのできるものは、ただ資産による威厳のみであり、技倆(ぎりよう)も天才すらも成功の要素ではない。

 

かように、候補者にとっては、威厳を具え、従って有無をいわせず強引に自分の意見を押しつけ得ることが、肝要である。特に、労働者や農民から成る選挙人たちが、その代表者として同輩の一人をめったに選ばないのは、自分たちと同じ階級から出る人物が、自分たちには少しも威厳を具えているようには見えないからである。

選挙人たちが同輩を選出することがあるにしても、ほとんどそれは、従属的な理由からにすぎない。例えば、選挙人が日ごろその下に隷属している上役の人間とか、手ごわい雇主とかに対抗して、一時自分のほうが主人顔できるような錯覚を起こす場合などが、これである。

しかし、威厳を具えるだけでは、候補者の成功を確実なものにすることはできない。選挙人というものは、その欲望や虚栄心におもねられることをしきりに望んでいる。そこで、候補者は、選挙人に途方もないお世辞を浴びせかけ、このうえもなく架空的な約束をもすることに躊躇してはならない。労働者たちの前では、その雇主をどんなに罵詈中傷しようともしすぎるということはない。

反対派の候補者については、これが、とんでもない破廉恥漢であって、幾多罪悪を犯した事実を知らぬ者はないということを、断言と反覆と感染との手段によって、人々の頭に植えつけて、相手を粉砕すべく努めねばならない。

もちろん、その証拠らしいものを何ら探し求める必要はない。反対派の候補者が、もし群衆の心理に通じていなければ、中傷的な言説には、やはり中傷的な言説で応ずるだけでいいのに、それをせずに弁論によって釈明しようとするであろうが、それでは全く選挙に勝つ見込みはないであろう。

意味のない標語が当選を約束する

候補者の文書による綱領は、あまりに明確であってはならない。反対派の候補者たちが、後日それを楯に攻撃してくるかも知れないからだ。しかし、口頭による綱領は、どんなに誇張してあってもさしつかえない。どんなに重大な改革であっても、恐れ憚らず約束することができる。即座に、これら誇大な言葉は、大した効果を生ずるが、将来もそのために少しも拘束を受けることはない。事実、その後になって、選挙人は、当選者が、当初歓迎された声明、そのために当選したと想像される声明のとおりにはたして実行したかどうかということなど、少しも意に介しないのである。

ここに、上述した説得のあらゆる要素が認められる。その要素を言葉と標語の作用のうちに改めて見ようと思うが、それらの強大な支配力については、すでに示したとおりである。言葉や標語の使い方を心得ている弁士は、自分の意のままに群衆をあやつる。

不浄なる資本とか、下劣なる山師とか、賞讃すべき労働者とか、富の社会化とかいった文句は、すでにやや使い古されてはいるが、同じ効果を常に生ずる。しかし、明確な意味を欠き、従って種々な願望に適用される、新たな標語を発見し得る候補者は、必ず成功する。

一八七三年におけるスペインの惨憺たる革命は、各人が自分の希望どおりに解釈できるような、あの複雑な意味を持つ魔術的な言葉の一つによってひき起こされたのである。当時のある文筆家が、引用の価値ある言葉で、革命の起源について語っている。(引用省略)