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かくも「世論」は移ろいやすく

【5分de名著】ル・ボン『群衆心理』③
19世紀末の社会心理学が、現代のわたしたちに突き刺さる。「講談社学術文庫」に収められた名著を「チラ読み」する連載、今回も引き続きギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』を読んでいきましょう。第三回となる今回は、第二篇第四章「群衆の信念と意見が変化する限界」から。メディアの退潮を嘆くくだりは、まるで現代のことを語っているかと思わされる?!

ころころ変わる群衆の信念

私は、今、固定した信念の力を説明したが、その上層には、たえず発生しては消えうせる意見、観念、思想の層が存在する。それらのうちあるものの存続期間は、はなはだはかなく、そして、その最も重要なものでも、ほとんど一世代以上は生きながらえない。すでに示したように、これらの意見に突然現われる変化は、現実的であるというよりは、往々はるかにうわべだけのものであって、種族の痕跡を常にとどめている。

 

例えば、わが国の政治制度を考察する際に述べたとおり、王政党、急進党、帝政党、社会党のような、外見上では最も相反する党派が、全く同一の理想を持ち、そして、この理想は、もっぱらわが種族の精神構造にもとづいているのである。何となれば、同様の名称のもとに、他の国民にあっては、それとは反対の理想が見出されるからである。さまざまな意見に与えられる名称も、人眼を欺く変改も、事物の本質までを変更しはしない。

大革命時代の中流人士は、ラテン文学が骨の髄まで沁みこんでいて、ローマ共和国に眼を注ぎ、その法制や束桿1や外袍2を採用したが、ローマ人にはならなかった。それというのは、彼等は、強力な歴史的暗示に依然支配されていたからである。

哲学者の役割は、外見上の変化の裏面に、旧来の信念のいかなる部分が今なお残存しているかを詮索し、そして変転する意見のなかから、一般的信念と種族の精神とによって決定される動きを見わけるにある。

こうした判断の規準によらなければ、群衆は、頻々と、しかも随意に政治上、宗教上の信念を変更するかのように思われるであろう。事実、政治史、宗教史、文学史などの歴史全体が、このことを裏書きしているようである。

例えば、わずか一七九〇年から一八二〇年にいたる短い期間、つまり、一世代の期間に相当する三十年間をとりあげてみよう。最初は王政派であった群衆が、革命派になり、ついで帝政派になり、やがてふたたび王政派になったのを見る。宗教においても、同じ期間に、群衆は、カトリック教から無神論に、ついで自然神教にと進み、やがてカトリック教の最も誇張された形へと立ちかえった。

しかし、単に群衆のみならず、群衆を指導する者たちもまた、同様に変貌したのである。王者たちの不倶戴天の敵であって、神々も支配者も欲しないあの錚々たる国民公会議員たちがナポレオンの忠僕となり、ついでルイ十八世時代には、宗教上の行列に加わって、うやうやしく大燭を捧持したのである。

さらに、それにひきつづいた七十年間に、どんな変化が、群衆の意見に見られたか?今世紀の初頭には「不実なる英国(アルピオン)」であったものが、ナポレオンの後継者3の時代には、フランスの同盟国となり、われわれと二度も戦いをまじえ4、しかもわれわれの最近の敗戦5にあれほど喝采していたロシアが、にわかに友邦と見られるようになった6