子どもにはいろんな事情がある
一方で、宿題をやれない子もいます。ある男の子は親御さんから宿題を見てもらっていなかったと思います。
無理はさせたくないなと思いつつ「宿題やる?」と尋ねると、「やる」と言います。実際やるとなると、漢字ノートを非常にきれいに書いてくる子でした。学習に課題はあるものの、文字はきれいでした。
そこで「学校でやっていくか?」と聞いてみました。残ってやってもいいよ、と。ぼくが一緒に教室にいて見守ることもありました。
これは、その日に宿題をやって来なかったから「のこ勉」させられるのではありません。宿題を学校で終わらせてから帰る。取り組み方が能動的です。そのうえ、早く帰って遊びたいという気持ちがあるので、集中力は自然と高まります。しかも、わからないときは、すぐにぼくに聞くことができる。そんな学習環境を提供しました。
教室で漢字ノートをぼくがチェックしていると、子どもたちがのぞきに来ることがあります。すると、その男の子のノートを見た子が「これ、だれのノート?超きれいなんですけど!」と声を上げました。その子は少し照れくさそうに、でも、くしゃくしゃの笑顔でした。
きっとそのような過程で、彼の自己肯定感は高まったのだと思います。さまざまなことを意欲をもって取り組むようになりました。
宿題はどこでもやれる。自分の家でやらなくてはいけないという概念を崩したことで、その子のストレスも軽減されたのだと思います。
保護者から「もっと宿題を出してほしい」
では、保護者が、ぼくの宿題の出し方をどうとらえていたのか。
例えば、4月に担任になって、6月、7月と時間が経つと、お母さんたちからこんな声が上がります。
「家に帰って何にもやらなくなった」
「いったい宿題は出ているんでしょうか?」
宿題ですか?学校でやってますよ。そう答えますが、非常に不安なようでした。
「学習習慣がつかないから、もっと宿題を出してほしい」「(宿題をやらないと)学力がつかないのではないか」といった意見が寄せられました。
ぼくは「お子さんがそれを望んでいるかどうかを確認してください」とお願いしました。
子どもにとっても、大人と一緒で時間は平等です。限られた時間の中で、様々な習い事が入っている中で宿題をするとなると、机に向かう時間が深夜にまで及ぶことも少なくありません。それは、本当に子どものためになっているのか。
最後の2年間は保護者会などで「子どもの権利条約」の話をさせてもらいました。
国連で定められ、日本も批准しているこの条約の軸は四つ。生きる権利、育つ権利、守られる権利と、参加する権利です。
参加する権利は、自由に意見を言えること。自由な活動ができることなどが保証されなければならないと書かれています。
そういったことを話しました。
「子どもたちが選択できることが大切ですよ」
「能動的に取り組まなければ、身につきませんよ」
そんなことを伝えたかったのです。
保護者は「森田先生はこういう先生だから」とあきらめていたのかもしれません。意外かもしれませんが、宿題に関するクレームは、2学期に入ると少なくなっていきました。
(構成/島沢優子)