能力よりも興味を育てる授業で評判となり、『情熱大陸』でも取り上げられて話題の塾「探究学舎」(東京都三鷹市)。ここで4月から講師を務めている森田太郎さん(42)は元小学校教師。

大学時に紛争直後のボスニア・ヘルツェゴビナでサッカーによる民族融和を目指し少年サッカークラブを立ち上げ、サッカー日本代表のイビチャ・オシム元監督とも親交の深い異色の教育者です。「東京の公立小学校に型破りな先生がいる」と知る人ぞ知る存在でした。

学校教育と、新たな教育観の両方を知るタローさんだからこそ語れる教育エッセイ第1回目で「小学6年間ドリル白紙」だった自身のことを語ってくれた森田さん。しかし、公立校の教師になって、宿題はどうしたのでしょうか。

そこには驚きの「宿題の出し方」がありました。

連載第1回「小学6年間ドリル白紙の忘れ物1位が大学進学してカリスマ教師になるまで」はこちら

ぼくは宿題をしない子どもだった

みなさんは自分から宿題をやる子でしたか?
お子さんは、楽しそうに宿題をしていますか?
「宿題」は、教員生活13年のなかでも、ひとつのテーマでした。

ぼくは、一切宿題をしない子どもでした

ところが、公立小学校では、各学年でそろえて出すことが一般的でした。代表的なものでいえば計算ドリルや漢字ドリル、音読などでしょうか。

計算ドリルや漢字ドリルについては、反復練習という意味、基礎学力の定着という意図があるのはわかります。

しかしながら、ただ単に出しているとどうなるか。
それは、「学習」ではなく、「作業」になってしまいます。例えるならば、チャップリンの映画『モダンタイムズ』のある場面。目の前に流れてくる「部品のネジをしめる」という単純作業をしていると、その動作しかできなくなる。要するに、考えることなく単なる作業として終わってしまう怖れがあるということです。

また、音読についても、子どもたちの気持ちが置いてけぼりになっていると感じていました。子どもたちが「読みたい」と思って手に取った本ではなく、一度読んだことのなる教科書を読んで、家族に聞いてもらい、音読カードに○をつけてもらう。
これは楽しくありません。

自分が読みたい本、読んでいる本、時にはマンガでもいいでしょう。それを、家族の人に聞いてもらう方が、自分が面白いと思っている作品ですから、楽しく取り組めると思います。

宿題をなしにするのはどうでしょうか

学年の打ち合わせでそう発言して、先生方をギョッとさせたことがあります。
どの学校でも宿題は出すものであり、学年で、できれば学校でそろえたいというのが一般的。そのため、いきなり自分流に「宿題なし」にするのは難しいことでした。