個展や本のカバー装画も多い人気イラストレーターの松尾たいこさん。デビューしてからは瞬く間に売れっ子になった松尾さんですが、実はそれまでには自信のないままに生きていたそうです。

地元広島の短大を卒業後、地元のメーカーに就職していた、松尾さんは、32歳になってから初めて自分の意思でイラストレーターへの第一歩を踏み出しました。母親との確執もあり、自分に自信が持てずにいたモノクロの人生。そこに少しずつ色がついていくように価値観を変えてくれたのは、今の夫だったといいます。

松尾さんが描く色鮮やかな絵のように、人生にどうやって色をつけていったのか。連載第5回は、パートナーとの関係性の作り方を綴ってもらいました。

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お互いに恵まれない家庭環境

夫と暮らし始めて今年で18年になります。
しばらくの間は、籍を入れず「事実婚」でした。特に必要性を感じなかったからです。
その後、スポーツクラブへの入会時に、夫婦の方が入会金が安いということで籍を入れました。それが2007年のことです。

私たちには、全く結婚願望がありませんでした。
私は一度結婚をしていましたが、それは「厳しい家から出たい」という思いが強く、自分が自由になるためのルームシェアのような結婚でした。

夫も私も家庭環境には恵まれていません。

私の子供時代のことは、前回の記事に書いたとおりですが、夫のほうもかなり厳しい思春期を送っていました。小学校低学年の時に両親が離婚し、養父からは毎日のように暴力をふるわれていました。大好きな読書も「頭でっかちになる」と禁止され、隠れて図書館に通ったり、そして高2ぐらいからは両親と離れ、ほとんど一人で生きてきたそうです。

小学校の卒業式の写真。洋服も、帰宅時間も、義理の母親の言いなりだった 写真提供/松尾たいこ

だから、結婚=幸せという形が想像できず、憧れもなく、また理想の夫婦像というものをお互い持っていませんでした。

付き合っている頃、夫の一人暮らしの部屋に行くと、とてもシンプルできちんと片付いていることに驚きました。また置いてある家具も私の好み。なんて居心地がいいんだろうと思ったのを覚えています。

そして本や映画の話をすると「たくさんの好きなもの」が多く、ライフスタイルと価値観が合うことが一緒に住む決め手になりました。

無理に相手に合わそうとしなくても「共感するポイント」が近くて会話が弾むことや、黙っている時間が苦痛でないことも新鮮でした。

「子供がほしいわけではない」「ただ一緒にいたい」そうやってふたりの暮らしは始まりました。