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すずのスケッチを見つけたのが近隣住民だったら

『この世界の片隅に』から隣組を考える
広島に原爆が投下され、多くの人の「日常」が失われてから74年。戦時下の呉、広島の日常を描き出し、多くの人びとの心をとらえてきた『この世界の片隅に』。前回(「『この世界の片隅に』は家制度を頭に入れて観るとよくわかる」)は、この作品を理解するために欠かせない戦前の家制度を紹介したが、今回は隣組、そして町内会を考える。*以下の文章には、作品の内容に関する紹介が含まれていますので、ご注意ください。

配給制度を支える隣組

ネット上などで、『この世界の片隅に』が人気を博している一因に、戦時下の日常を緻密な時代考証のもとに描いた点があるとされる。筆者がみても、戦時社会の特徴をよくつかんでいると思う点は多い。以下、この物語から学べる戦時日本社会の特徴について述べてみたい。

1944(昭和19)年、主人公の北條すずは、一家の主婦として食事の支度をはじめとする家事に取り組む。当時の日本では乏しい食糧品を平等に行き渡らせるため、配給制度が敷かれていた。この配給制度を社会の末端で支えていたのが隣組制度である。

隣組とは、おおむね10戸程度の家をまとめて作られた地域の組織である。呉市では隣組を隣保班と呼んでいた。物語でも、すずたちの属する隣保班の主婦たちが、配給されたしょうゆなどの食糧品を均等になるよう努めながら分配する場面がある。この隣組の上部組織として、今日まで続く町会(町内会)がある。

神社を掃き清める女性たち(1944年、Photo by Getty Images)

戦争をテコとした民主化

政府が全国に隣組を作らせた目的は、配給制度以外にも、当時の言葉でいう「上意下達」、つまり政府の方針を末端まで行き渡らせることもあった。その手段となったのが「常会」と称する会合である。『呉市史 第五巻』には、1940年12月6日、呉市内の岩神町内会第六隣保班が開いた常会の記録が載っていて興味深い。常会は午後7時半から9時半まで行われた。まず宮城遙拝からはじまり、議事では「一切不平を云はぬこと」を申し合わせている。

つまり、常会は天皇崇拝を徹底させ、国民の不満を押さえつける会であったといえる。ただし、当時の呉の町内会では「塵芥箱が一杯になるのを市役所が集めてくれぬとか、配給関係をもつと考へてほしいとかと言ふ不平が多」く、「何の場合でも下情上達である」と言われていた点にも注意したい。

これは、戦争をテコとした地域社会における民主化の進展ともいえる。ただし、その民主化が物語の舞台である1944年の段階ではより進んでいたのか、逆に後退していたのかについては何ともいえない。