講談社社史から削除された「顧問料」の驚くべき「金額」

大衆は神である(60)
魚住 昭 プロフィール

頭の下げ方

伏見や城戸ら陸軍の取り巻き連は週に1度か、場合によっては2〜3週に1度(竹中によれば顧問団側の出席者は毎回5〜6人だったというからそういう計算になる)、講談社との会合に顔を出すだけで膨大な額の謝礼を受け取っていたということになる。

講談社が顧問団に支払った謝礼の総額は月に5300円~4100円、年額では5万円前後に達する。5万円は、今でいえば数千万円から1億円前後に相当するとみていいだろう。

木村や辻が、「高木さんのポケットマネー」という省一の釈明を「嘘」だと思ったのは、金額が大きすぎて、一幹部の個人収入で対応可能な範囲を超えていたからである。

 

もし、この金額が表沙汰になっていたら、戦時中といえども大きな社会問題になっていただろう。『講談倶楽部』の編集長だった萱原宏一は自著『私の大衆文壇誌』(青蛙房刊、1972年)にこう書いている。

〈(講談社に)顧問が入ってきたことは、外部にはすぐ知れた。当時「日本評論」の編集をやっていた下村亮一君(現経済往来社社長)が、私に「おい、君のとこは何をやっているんだ。鈴木庫三なんかに頭を下げやがって、頭の下げ方が早過ぎるよ。簡単すぎるよ。鈴木なんかわれわれの方(綜合雑誌)へ来ると、われわれのご機嫌ばかり取っているんだぜ」
しっかりしろと、苦々しげに言った〉

そう。下村亮一が言うように、講談社の「頭の下げ方」は異様に「早過ぎる」し、「簡単すぎる」。しかも顧問料の額がケタ外れである。

なぜ、こういうことが起こったのだろうか。その理由を探るには、もう一度、清治存命中の時代に遡ってみなければならない。

註① 『物価の世相100年』(岩崎爾郎著・読売新聞社刊)より。