講談社社史から削除された「顧問料」の驚くべき「金額」

大衆は神である(60)
魚住 昭 プロフィール

「この記録までは不要と考えます」

木村らは省一の釈明を「嘘」だと思いつつ受け入れた。その判断の是非はともかく、なぜ、社側は顧問料の記述の削除にこんなにこだわったのか。

答えは、秘蔵資料の第11巻「編纂委員の意見をまとめたもの」(下)にあった。そこには木村らが作成した第1稿が残されていた。そのうち顧問料に関する竹中証言約200字に赤線が引かれ、上欄の余白に加藤謙一の筆跡で「削除」と明記されていた。

さらにその横に、西村俊成(取締役。元『少年倶楽部』の編集部員で、田川水泡の漫画『のらくろ』シリーズを担当)の筆跡で「この記録までは不要と考えます」と書かれていた。

つまり戦前・戦時中の『少年倶楽部』黄金時代を築いた古参幹部2人が第1稿をチェックし、顧問料に関する竹中証言の公表に反対したのである。反対の理由は、赤線を引かれた抹消部分を読めばすぐにわかる。

〈当時この顧問組の謝礼について、ついでながら触れておきます。当時と今日では金の価値が全然違いますが、国民精神文化研究所の伏見氏に千円(後三百円、十九年二月より)、研究所に千円(後五百円、十八年十月より)、大東研究所の五人に対しては、城戸氏が千円、大熊、阿部、平井、加藤の四氏には各二百円、日本世紀社の花見氏が五百円、西谷、中河両氏が各三百円、神原、満田両氏には各二百円ということになっております〉

 

べらぼうな額である。ここに記された謝礼は年額でなく、月額だ。

木村や辻は仰天したにちがいない。なぜなら、昭和14年の「熟練工の平均収入は月百二、三十円で、二百円位取る職工は百人に二人位だ」(註1)と言われていたので、それを基準に換算すると、当時の200円は現在の数十万円、1000円は200〜300万円にも相当するからである。