恩師の下から独立する決意

8年ヴィニョリの元で働いたあと、自分のやりたいことに戻るときがきたと感じた宮川さんは、それを恩師に伝えた。

――ヴィニョリに家具を作る自分のアトリエを持ちたいと言ったら、「素晴らしいアイデアだ!一緒にやろう」と言われたので、「独立してやりたい」と伝えました。そうしたら「全面的に支援してあげるから、やってみよう」と。家具屋を立ち上げるのにかかる費用は自分が持つと、親切なオファーをしてくれ、高価な機械はすべて彼が支払ってくれました。

その代わり、彼の事務所が忙しい時は、助ける約束をしました。ヴィニョリは、僕が高価な医療保険を自己負担する必要がないように、独立後も彼の事務所の正社員として契約してくれました。多くの面でサポートしてくれて、心強かったです。

世話になった恩師に辞意を伝えたところ、次のステップのパートナーになると言われる……こういう理想的な展開になるのも、宮川さんの人徳によるところだろうが、またもや不測の事態が起きる。多数のニューヨーカーの人生を変えた、2001年の同時多発テロである。

――独立したのが2001年1月。トライベッカに工房も構えましたが、テロが起きた9月に閉鎖する羽目になりました。被害はなかったのですが、世界貿易センター跡の再建のデザインコンペが開始されて、これにヴィニョリが入選したために、最終コンペに勝つために忙しく、結局長時間ヴィニョリの事務所で仕事を手伝うことになりました。独立して、最初の2年は、時間の9割を彼の事務所で過ごしました。

やがて自分の時間が増えてきました。ブルックリンのグリーンポイント地区の事務所に移っても、ヴィニョリの模型の担当だったので、通っていました。やがて3Dプリンターが登場。模型を具現化することが可能になったので、僕が彼の事務所に行かなくても大丈夫になりました。完全に独立したのは、2018年の始めです。

ヴィニョリのおかげで永住権も得て、逮捕されたときも、ヴィニョリと仲間たちが組織して助けてくれた。

――逮捕された時は、本当に周囲の人に助けられました。ルイスの姉夫婦が対策本部を設置してくれたそうです。僕を釈放するために作ってくれた役割分担一覧表は 今でも保存してあります。

今、宮川さんは、ブルックリンの北端に位置するグリーンポイント地区にスタジオを構え、近くに借りた家と往復しながら、創作を続けている。

――家具を作る仕事の性質上、大きな工房が必要です。東京で広いスペースを持つことは難しい。田舎に行けば広いスペースを持てますが、クライアントがいない。その点、ニューヨークは家具をカスタムメイクするには最高の場所なんです。

宮川さんは、自分の人生に必要なもの、必要でないものを知っている。物質的な豊かさを求めない。自分を充足させてくれる仕事を求める。周りの人々を大切にする。感謝の気持ちを知っている。欲に突き動かされない。

舞さんと会う前、家族を持つことを想像したかどうかを聞いてみた。

――あまり考えていなかったと思います。僕はずっと仕事人間でした。マイと結婚した時も、子供は好きでしたが、別にいなくても幸せだと思っていました。2017年4月7日にマイがニューヨークに引っ越してきて、その後、計画した訳ではなく、自然にマイが妊娠しました。

NYのファーマーズマーケットに家族3人で 写真提供/宮川剛

不当逮捕されたのは、2011年のことだった。災難だったとは感じているけれど、その経験には、感謝の意さえ抱いているという。

――実際に刑務所に入所して、この世に本当に悪い人はいないと思いました。育った環境が貧しく、ドラッグ売買でしか生計を立てられず犯罪に手を染めてしまうのであり、正真正銘の悪人というのはこの世に存在しないと感じました。逮捕されて初めて、アメリカの社会の縮図を見ることができたのかもしれません。

佐久間裕美子さん(写真右)によるインタビューは、グリーンポイントにある宮川さんのアトリエで行われた
【編集部より】宮川剛さん同様、ジャーナリストの佐久間裕美子さんもまた、伝手のないところからNYに渡り、そこで生き生きと活躍している日本人の一人です。2人のインタビューを聞いていると、その地に行くからには、そして住むからには、きれいな上辺だけではないそのすべてを知り、受け入れたい、他人まかせではなく自分の足で行きたいという思いを感じます。そんな佐久間さんの著書『My Little NewYork Times』(伊藤総研)や『真剣にマリファナの話をしよう』(文藝春秋社刊)からも、「本質を見る」佐久間さんの意思が伝わってきます。