日本がこれ以上分断しないために絶対必要な「エンパシー」とは何か

今、イギリスの経験から学ぶこと
石戸 諭 プロフィール

「エンパシー」とは何か?

結果、進んでいくのは意識レベルからの分断だ。この本の中で、ひときわ印象的なエピソードがある。イギリスの公立学校教育で導入されているシティズンシップ教育についてのエピソードだ。

実際に彼女の息子に出されたテスト問題に挑戦してみてほしい。

「問題:エンパシーとは何か?」

 

さて、あなたはどう答えるだろうか。よく混同されるシンパシーは共感や同情といった感情の動きである。エンパシーとは違う。

息子の回答が最高にしゃれている。「自分で誰かの靴を履いてみること」。要するに他人の立場から物事を捉えるということだ。

ブレイディみかこはもう一歩深めて、こんなことを定義を書いている。エンパシーとは「自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力」だ、と。

彼の通う学校では、これからはエンパシーの時代だと教師が語ったという。日本が追いかけるべきはこの思考なのではないか?

《エンパシーは感情的に共鳴することではないので、知的な作業であり、能力なんです。これを鍛えないといけない時期だと思うんです。

でも、反対側を理解しようとすると私なら「ウヨク」と批判されるでしょう。私がEU離脱に賛成した人の言い分を記事に書くと、「ブレイディみかこは離脱万歳のウヨク」みたいな単純な反応が返ってくる。

自分と同じ意見が書かれていないと安心できないのかもしれない。自分と違う陣営を理解しようとする人はみな敵だという風潮が強まっていますよね。

A.R.ホックシールドの『壁の向こうの住人たち アメリカ右派を覆う怒りと嘆き』(岩波書店、2018年)なんかもそうですけど、世界では知的なエンパシーの力が必要だということに気がつき始めている人が多いと思いますよ。彼女はフェミニズム社会学の第一人者なのに、右派の人たちに会って、実はすばらしい人もいたと言ったりする。

それこそが人間のリアルですよね。人間を捉えることが大事なのに、「右派にいい人もいるなんていう気がしれない」という批判が飛んでくる。あなたはどっちなのか、と常に問われて、レッテルを貼られる。そこをやめないと、左派は衰退してしまいます。

繰り返しになりますがエンパシーは知的作業なので、それを批判するということは知的であることを放棄するってことです。》

これは私にも思い当たる節がある。ニューズウィーク日本版で『百田尚樹現象』と題して、右派を代表する売れっ子作家を分析した。そこで左派から飛んできた批判も、ブレイディと似たようなものだった。理解することと、許すことはまったく別のものなのに……(詳しくはhttps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/post-12403_1.php)。

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