久我未来——俳優。『3年B組金八先生 第4シリーズ』(1995〜96年/TBS系)をご覧になったことがある方なら、「あの、裏拳をとばされた生徒」として覚えているかもしれない。
あれから24年。39歳となるまで、役者、ミュージシャンとして頑張ってきた。当然、食えない時期もあり、さまざまな職業で糊口をしのいできた。そんななかで、「できればしたくない経験——でも、端で聞いている分にはすごく面白い経験」をしているらしい。
僕はボタンを掛け違えた少年のままだった
10歳の時に自分の意思で始めた俳優の世界に、自ら背を向けた。
『3年B組金八先生』の収録が終わった直後だった。
当時の僕は、生真面目で、妥協する能力に劣り、見て見ぬふりをする器用さも持ち得ていなかった。
第1話の放送直後から鳴り止まない自宅の電話、押し寄せた”演じる役”へのファンレターの数々。そして、その反響に対して首を傾げている未熟な自分。
相応の努力もせずに評価されてしまった自分自身が、どうしても許せなかった。

自分を過大評価してくれた、その業界に対してさえも。
桜中学の学生服を脱ぐ日を迎えても、僕はボタンを掛け違えた少年のままだった。
16歳。僕が求めていた“純粋さ”という青臭い理想を俳優の世界には見いだせず、それが在ると信じた音楽の世界に飛び込んだ。

――僕は、ここに居ていいのか。
それが、キーワードだった。
さて、俳優でも音楽でも自由な創作活動を続けるには、収入源が必要ですよね。
今から16年前、自らのメインバンドを立ち上げたばかりの僕は、生活のためにネットカフェで働きながらバンド活動をしておりました。
ワンオペ・夜勤のため、空き時間に作曲するのにはうってつけだったのです。
今回書かせていただくのは、そんなアルバイト先でのエピソードです。
ネットカフェのトイレ、女性客が40分も出て来ない!?
2003年、僕が働いていたその店舗は、とても小さなお店でした。
個室席などはなく、ワンフロアにリクライニングチェアーがずらりと並んでいるだけの簡素な作りです。
当時のネットカフェという異空間、加えて中央線沿線という“まず信念在りきのアーティストたちの巣窟”という土地柄もあるのでしょうか。
多くの個性豊かな方々との出逢いに恵まれました。その方々との邂逅が、今の僕を構成していると言っても過言ではありません。

或る晩のことです。
30代とおぼしき女性が、深夜2時半頃にお一人でご来店され、入口からいちばん遠い席に座りました。
そして、席を暖める間もなく、何度もトイレに通っています。
最初は、「お腹でも壊されているのかな」程度にしか思わず、レジ内で新曲を書いていた僕ですが、そのうちとても気になってきました。
だって……。
最後にトイレに入ってから、もう40分は出て来ないのです!
夜勤は泥酔されたお客様の対応が常なのですが、入店時の彼女は酔っているようには見受けられませんでした。
だから、トイレにこもったままとはいえ、酩酊状態で嘔吐されているわけではないようです。
ということは、長電話? それにしては、声が少しも聞こえない。座られたまま、寝てしまったのか。いや、それまで何度もトイレに通っているわけだから不自然だ。
便器にイタズラしたり、自分にイタズラしたりなんて……。まさか、悪いクスリをどうにかしているとか……。
これらの突拍子もない想像は、その後14年ほど働かせていただいた日々で現実のものとなってしまうのだが、働き始めてまだ4ヵ月だった当時の僕には、想像すらできなかった。
想像をめぐらせているうちにどんどん不安になる。もしも急病だったらどうする? もし間に合わなかったらたいへんなことになる。
意を決した僕は、レジカウンターを出た。