「生まれた環境」による学力差を縮小できない〈教育格差社会〉日本

人々が緩やかに「隔離」された社会
松岡 亮二 プロフィール

「生まれ」で緩やかに隔離された社会

さて、ここまでの論点を踏まえて、再度、「友達」を頭に思い浮かべて欲しい。まずは小中学校時代の「友達」からはじめよう。そのうち何割が4年制大学を卒業しただろうか。

次に高校時代の「友達」だ。高校ランク(偏差値)によってSESが大きく異なる。もしあなたが、進学校の出身であるなら、「同級生」の大半は恵まれた、その学区における「生まれ」の「上澄み」だ。

そしてあなたが大卒であるのなら、大学の同級生を思い浮かべて欲しい。より均一的な「生まれ」の人ばかりであっても、それは偶然ではない。

SESによって学力と選択に格差があるので、高校受験・大学受験という教育選抜を経ると、周囲の人たちの「生まれ」の均質性が上がってくるのだ。

小中学校より高校、高校より大学で知り合った人に対して「同じような価値観」や「話しやすさ」を感じるのであれば、それは同じ「学力」だけではなく、「生まれ」によって身体化された嗜好や同じような教育上の選択をしてきたことなどが関係しているだろう。「生まれ」によって緩やかに隔離された教育格差社会がこの国の実態なのだ。

本稿で紹介した知見を含め、戦後から現在までの動向、幼児(就学前)~高校まで各教育段階における様々な格差、国際比較、そして政策提言について、詳しくは拙著『教育格差』(ちくま新書)で論じている。是非みなさんも本書が提示するデータに基づいて、周囲の人たちと話してみて欲しい。そして、「わたしたちはどのような社会を生きたいのか」(『教育格差』第7章)について、共に考えることができればと願う。