「生まれた環境」による学力差を縮小できない〈教育格差社会〉日本

人々が緩やかに「隔離」された社会
松岡 亮二 プロフィール

SESと「学校文化」

日本の義務教育制度が「生まれ」による学力格差を縮小できない、と言えば驚かれるだろうか5

まず、親のSESによる学力格差は小学校入学時点で確認できる。その上、同一児童を毎年追跡している調査結果によれば、小学校後半と中学校の間に、学力格差は大きく拡大も縮小もしない6。初期の格差は維持されるのだ。そして、義務教育制度が「生まれ」による学力格差を縮小できないまま、高校受験という教育選抜が行われる。

SESによって学力格差があり高SES層は高ランク校を志望するので、学力と志望校選択による高校受験はSESの差による緩やかな「隔離」を意味することになる。言い換えれば、高校ごとに似たような「生まれ」の生徒ばかりが集まるということだ。

図1は、学校のランク(高校の偏差値)によって生徒の平均的なSESが異なることを示している(相関係数0.79・赤点が私立高校、青点が公立高校)7 。横軸の学校ランクが高いほど、縦軸の学校SES(生徒の平均SES)も高い。私立と公立で比べると、同じ学校ランクであれば私立のSESのほうが高いが、公立であっても進学校のSESはかなり高い。

たとえば、偏差値70の公立高校はどの地域であっても住民の誰もが知っている有名進学校だろうが、生徒の平均的なSESは偏差値換算で60~70で、これはSESの上位16%~2%あたりである。明らかに相対的に恵まれた層であることがわかる。

進学校の生徒は「学力」が高いだけではない。SESの平均も高いのだ。

一般的には高校ランクと大学進学実績の関連のみに着目し、「進学校は“学力”が高いから大学進学割合が高い」と能力主義的に理解されているだろう。しかし、これは「学力(能力)」の過大評価だ。

たしかに、学力が高くなければ現実的に大学進学を具体的な進路として想像できないわけで、重要であることに変わりはない。しかし、進学校に存在する高い大学進学意欲は、高い学力とSESが混ぜ合わさったものと理解したほうが実態に即しているはずだ。

制度として高SES家庭出身者を集めることで、「大学に行くかどうか」ではなく、「どの大学に進学するか」という前提で卒業後の進路を考える生徒たちが集まる。そのことにより学習に対して親和的な「学校文化」や「校風」が集合的に形成されていることになる。

*5 義務教育がなければ「生まれ」はより直接的に子供に受け継がれることになる。換言すれば、義務教育制度は「生まれ」による格差を縮小する方向に機能しているが、それでも早い時期に観察される格差を消すほどの力はない。詳しくは『教育格差』(ちくま新書)を参照。
 *6 詳しくは『教育格差』(ちくま新書)の第三章(小学校)と第四章(中学校)を参照。
 *7 SESが何で構成されているかは調査で得られる情報によって異なる。ここではPISAのデータを用いている。詳しくは『教育格差』(ちくま新書)を参照。