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「生まれた環境」による学力差を縮小できない〈教育格差社会〉日本

人々が緩やかに「隔離」された社会

大卒の「友達」はだいたい大卒?

みなさんが「友達」という言葉を聞いて頭に思い浮かべる人たちのうち、何割ぐらいが4年制大学を卒業している大卒者(もしくは現役の大学生)だろうか。「知り合い」だとかSNSで繋がっている人たちでもいい。

もし、わたしたちが無作為に他者と出会っているのであれば、昔に比べ進学率が高くなった20代であっても、大卒である「友達」の割合は50%ぐらいになるはずだ。

しかし、あなたが大卒であれば、「友達」の大卒割合はかなり高いだろう。筆者も大卒であるが、頭に思い浮かぶ同世代のほぼ全員が大学を卒業している。

このような関係性の「偏り」は、偶然でも何でもなく、わたしたちが小学校に就学する前から緩やかに始まっている。本人が変えることのできない初期条件(「生まれ」)である、出身家庭の社会経済的地位(Socioeconomic status, 「SES」と省略)出身地域によって、わたしたちはそれぞれ似た人たちと一緒に育ってきているのだ。

以下では、そうした日本の教育格差がどれほどのものであるのか、そして「生まれ」による格差が、日本社会の中では、どれだけ「縮まりづらい」ものであるのかを見ていく。

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本論に入る前に2つの「生まれ」を定義しよう。耳慣れない言葉かもしれないが、「社会経済的地位(SES)」は経済的、文化的、社会的要素を統合した地位を意味する。

出身家庭のSESは、世帯収入、親の学歴・文化的所有物1や行動2、職業的地位などを含み、学力偏差値のように1つの連続した数値にすることが多い。

出身地域は、子供時代(たとえば15歳時)に育った地域のことだ。SESの高い家族は大都市に住む傾向があるので、SESと地域は緩やかに重なっている。換言すれば、似たSESの個人が集まることで地域間格差が形成されていることになる。

こうした出身家庭のSESと出身地域によって、相対的に有利・不利な教育環境が地層のように細かく折り重なっているのが、教育格差社会「日本」の姿だ。

 

公立の小学校間でも、大きな格差が存在する

教育格差は、小学校に入る前から始まっている。小学校入学前の未就学段階から、本人が選んだわけではない家庭のSESと居住地域によって、出会う人たちには違いがある。たとえば、両親が大卒で大都市在住であれば、その大半は幼稚園に通う。保育所に比べれば(特に居住地域内の)幼稚園で知り合った「お友達」の親の多くが大卒であったとしても、それは偶然ではない。習い事先の「お友達」についても同様だ。そこにはSESによる「偏り」がある。

また、約98%の児童が通う公立小学校3であっても、わたしたちの生活空間は緩やかに隔離されている。たとえば、2015年の小学4年生を対象とした調査(TIMSS20154)を分析すると、両親共に(短大以上の)大卒である児童の割合は、同じ日本の中であるにもかかわらず、0~90%と、学校間で大きく異なることがわかる。両親が大卒である児童が0%である小学校もあれば、90%である小学校もあるのだ。

*1 家庭の蔵書数など。
*2 図書館訪問など。
*3 「文部科学統計要覧(平成30年版)」の「4. 小学校」を参照
*4 http://timss2015.org