
山本直樹教授
専門を、博士課程で変える。そんな勇気。
──どんな子ども時代を過ごされましたか。
父は商社マンで、特別に理系の環境の中で育ったわけではありません。
子どものころはゲームやファミコン、マンガに野球と、いろいろな遊びに夢中になっていました。中学ではテニスをしていたのですが、部活が終わった後は友達の家に入り浸り。5~6人で『信長の野望』などのゲームをひたすらやっていました。
高校でもテニスをしたかったんですが、強豪部で、テニスをとるか勉強をとるか迫られて、勉強をとりました。大学入学後はテニスを再開、修士1年まではかなり入れ込んでいました。
──研究者を志したのはいつごろですか。
もともと、制御理論や最適化理論の方面で研究者になりたいとは思っていました。
そこで「何を研究するか」が大事になるわけですが、量子コンピュータ関係の進展も気になっていました。それで、博士課程から急に量子情報を研究しはじめました。
普通、博士課程になってから専門分野を変えることはあまりないのですが、私の場合は思いっきり変えてしまいました(笑)。
先生方からも「好きにしていい」と言われていました。いい意味での放置です。独学もいいところでしたね。
物理学会に所属していなかったこともあり、対外発表もあまりしませんでした。でも時間がたっぷりあったので、いろいろ深く考えて研究することができました。
指導を受ける教員の専門外の分野を手掛けることはリスキーでしたが、専門の数理工学を活かしてオリジナルの結果を出せるだろうとは思っていました。
博士課程では大きく3つの成果を挙げたのですが、後でかなりの大物(量子コンピュータで有名なマサチューセッツ工科大学のピーター・ショア氏)に論文を引用されるなど、評価されました。学位取得後はテーマを「量子制御」に絞って、その分野でトップだったカリフォルニア工科大学(カルテック)に行くことにしたのです。

最高の仲間とともにあったアメリカ時代
──カリフォルニアでの生活はいかがでしたか。
最高でした。環境もいいですし天気は最高だし、テニスコートは使い放題。日が出ている間は研究、夜はポスドク仲間とテニスの生活でした。