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実用化へ!「量子コンピュータ」開発者が教える「猫を見る仕組み」

博士課程で専門を変え、今は最前線へ
量子とは、原子や分子、電子、素粒子などの非常に小さな物質や、小さなエネルギー単位のこと。1メートルの10億分の1を下回るような極小の世界で、量子は私たちの身の回りの現象とは違う不思議な振る舞いをする。その性質を利用した超高速コンピュータが、今まさに実用化されようとしている。そこには量子をいかに捉え、どう制御するのかという難しい課題があった。

今回は、20年前からこの課題に挑戦し研究してきた理論家である慶應義塾大学の山本直樹教授に話をうかがった。

人生を変えた「一冊の本」

量子コンピュータのアイデアは30年以上前からあったものの、観測することさえ難しい量子を利用して、実際に計算機を作ることは簡単なことではなかった。

1998年、当時カリフォルニア工科大学の研究員だった古澤明さんが、遠く離れた場所へ一瞬で情報を伝える“量子テレポーテーション実験”に成功した頃から、「量子コンピュータを本当に作るぞ」という機運が高まったという。

図1 量子コンピュータの仕組み
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量子コンピュータ開発のブレイクの一因は、1994年にショアが発見した素因数分解の量子計算アルゴリズム。これによりRSA暗号が解けることになれば、セキュリティ上の大問題になるからだ。
実際に解くためには1000量子ビットぐらいの量子コンピュータが必要と言われており、実現は遠い将来の話と考えられている。

図1は量子コンピュータで「21」を素因数分解する仕組みのイメージ。
二重スリットを通った粒子は、右のスリットを通った状態と左のスリットを通った状態の重ね合わせになり波の性質を示すので、スクリーンに等間隔の縞模様(干渉縞)が現れる。
スリットとスクリーンとの間に「21」という情報をもつ量子コンピューターを挟むと、干渉縞の濃淡に差が出て、スクリーンに書いてあるさまざまな答えの中から「この辺だよ~」と教えてくれる。

このニュースをきっかけに、山本さんは量子力学の分野に踏み出していく──とはいうものの、彼はそれまで量子力学を専門的に勉強したことはなかった。

当時、山本さんは東京大学の計数工学科の学生で、応用数学系科目を幅広く学んでいた。とくに、甘利俊一博士の著書『情報幾何の方法』にたいへん影響を受けた。卒業研究では人工知能の先駆けとなるニューラルネットを、修士課程では制御理論と情報幾何を研究している。

「甘利先生は統計、制御、最適化などの数理工学を“幾何”という観点からまとめあげました。『情報幾何の方法』ではニューロンや脳科学なども取り上げられていて、すでに量子情報の章もありました」

さまざまな方法論を共通する数学で把握しようとするこの本の精神は、そのまま山本さんの研究スタイルとなり、今に至るまで一貫している。

山本さんは、これまでやってきた制御理論や最適化理論などの数理工学と量子力学を結びつけた新分野を切り開くという野望を抱き、自分なりの新しい視点を取り入れて論文を書いた。

学位取得後は「量子の制御」に的を絞り、制御工学におけるフィードバック理論(ものの状態を見て操作を加えること)の量子版を手掛けようと、当時この分野で先行していたカリフォルニア工科大学でポスドクとして研究を始める。

「シュレーディンガーの猫」が見えるように

「制御」とは、ある状態に操作を加えて、別の状態に変えることだが、そのためには対象の状態を見て、把握しなければならない。ロボットにコップを持たせる場合、ロボットがコップの位置や大きさを把握できなければうまく持てないだろう。

通常のコンピュータでは、ビットが1か0かをまず把握する。ところが量子コンピュータの場合、把握すべきものは1か0かではなく、1と0を重ね合わせた状態(量子ビット)になる。量子力学によればこの状態を見る(観測する)ことはできない。見たとたんに重ね合わせは解消されて、1か0になってしまうからだ。

「見る」という行為は、たとえば「もの」に光を当てて、その反射光を計測することでなされるが、量子の大きさになると、光を当てるとその状態は変化してしまう。つまり、状態を変えずに見ることはできないのである。それが量子力学の常識だった。

「見てはいけないものを制御する。そういう深い問いが隠れているんですね」と山本さん。

有名な“シュレーディンガーの猫”の比喩では、猫は寝ている状態と起きている状態の重ね合わせ状態にあり、普通の光を当てる方法でこの猫を見ることはできない。猫に気づかれずに見る方法はないか、研究者たちは頭を悩ませた。