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聖女ジャンヌ・ダルクが守ろうとしたものとは

21世紀に残るジャンヌが戦った理由

ノートルダムにジャンヌ・ダルクがいる理由

フランス時間の4月15日の夕方、パリのセーヌ河に浮かぶシテ島でノートルダム大聖堂が火を噴いた。何時間も炎と煙に包まれてやがて尖塔が崩れ落ちるのを目にした人々の中には聖母マリアに捧げるロザリオを唱えるグループがいくつも生まれた。

 

多くの犠牲者を出し、粉塵の中で人々が逃げ惑う光景が記憶に焼きついた2001年のニューヨークのツインタワービルの崩壊とは違って、一人の犠牲者も出なかったにもかかわらず、火煙に包まれるノートルダム大聖堂の姿に世界中の人が衝撃を受けた。

「ノートルダム」とは聖母マリアを意味するフランス語で、12世紀に聖母マリアに捧げられたこの大聖堂は、ヨーロッパのゴシック建築の傑作であり、17世紀のルイ13世は天に上げられる聖母マリアに国を捧げ、聖母マリアはフランスの筆頭守護聖女となった。

聖母マリアといえば、幼子イエスを抱いたいつくしみの聖母子像と、十字架上で死んだイエスを膝に抱く悲しみのピエタ像が有名だ。でも、マリアにはもう1つ、勇ましい姿もある。

新約聖書の『ヨハネの黙示録』に出てくる「身ごもっている女」がそれで、「また、天に大きなしるしが現れた。1人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には12の星の冠をかぶっていた」(12・1)と描写される。

その「12の星」が後にヨーロッパ連合旗のモティーフとなった。このイメージをもとに、聖母は時として、悪魔の化身である龍や蛇を踏みつける頼もしい姿で描かれた。

ノートルダム大聖堂の翼廊の南側には、旗を抱えて祈るジャンヌ・ダルクの像がある。その傍には、1455年にこの大聖堂でジャンヌ・ダルクの復権裁判が開始され、後に復権が認定されて殉教者とされたという銘がある。

ジャンヌは、1431年に、イギリスが占拠していたノルマンディのルーアン城のチャペルで行われた異端審問で有罪となり、異端者として火刑に処せられていたのだ。復権裁判は首都であるパリの大聖堂で開始される必要があった。

復権は遂げたものの、彼女が正式にカトリック教会の聖人の列に加えられたのは450年以上も後の1920年のことだった。ジャンヌ・ダルクは、英仏百年戦争の末期にイギリス軍に包囲されていたオルレアンを解放したことで、すでに「救国の少女戦士」というシンボルになっていたけれど、ヨーロッパが第1次世界大戦という戦禍をくぐり抜けた混乱の時代に、「聖女」として再びの復活を遂げたわけだ。

こうして彼女は、聖母マリアと並んで晴れてフランスの守護聖女となり、復権開始の場所であるノートルダム大聖堂にもジャンヌ・ダルク像が置かれたというわけだ。