150年前のSNS!? 創刊直後の『ネイチャー』が超絶面白い

ダーウィンが「いいね」した日本特集
瀧澤 美奈子 プロフィール

創刊を支えた傑物たち

執筆を終えて最も印象に残ったのは、当時、いかに多くの魅力的な人物がイギリス科学界で活躍していたか、ということだ。そのうちの何人かは、『ネイチャー』の誌面から、人物像をうかがい知ることができる。

まず、創始者であり初代編集長であったノーマン・ロッキャーの馬力がすごい。毎号約20ページの、虫眼鏡が必要なほど小さな文字がびっしりと並んだハイクオリティな科学雑誌を、週刊で出し続けた。その編集部を率いただけでなく、自らも天文学を研究し、最新トピックを多数執筆した。

また、「科学システムの改革」にも並々ならぬ執念を燃やし、イギリス政府による科学援助の必要性や正当性を繰り返し訴え、誌面で政治的結集まで呼びかけた。

版元のマクミラン社社長、アレクサンダー・マクミランもまた、強烈な使命感を抱いた人物だった。

創刊される雑誌のほとんどが、1年ほどで休刊を迎える短命の時代に、ロッキャーから聞いた『ネイチャー』の構想に賛同し、創刊後30年間も赤字がつづくことになる損失事業に資金を出し続けた。

いまでこそ世界的権威をもつにいたった『ネイチャー』だが、創刊当時は、先行き不透明な社内ベンチャー事業にすぎなかったのだ。ロッキャーは、自身の死の前年にあたる1919年11月6日のネイチャー創刊50周年記念号(Nature vol.104, p.189, “Valedictory Memories”)で、マクミランに深い謝意を示している。

「マクミラン氏は、科学者の興味を記録する定期刊行物が、やがてイギリスの科学を発展させると固く信じていた」

150年前のリケジョ=「エディンバラ・セブン」の壮絶な生涯

彼らのほかにも、『ネイチャー』の歴史にその名を残した個性豊かな科学者たちが大勢いる。

論争を好まないダーウィンに代わって進化論を擁護し、反ダーウィン派の執拗な攻撃に舌鋒鋭く反撃したため、"ダーウィンのブルドック"という異名をとったトーマス・ハクスリー(博物・生物学者)。

経済的困窮のなかでも"科学者の精神的な高潔さ」を強調したアルフレッド・ラッセル・ウォレス(博物・生物学者)。

そして病床のダーウィンとハクスリー、ウォレスとの厚い友情。

女性であるという理由だけで、現在ではとうてい考えられないような差別的な扱いを受けたエディンバラ大学の7人の女子医学生「エディンバラ・セブン」。その筆頭、ソフィア・ジェクス=ブレイクをはじめとした、理系女子の苦難の道のりと活躍。

【写真】女性の大学教育への道を拓いたジェックス・ブレイク
  女性の大学教育を目指して自らエディンバラ大学で医学を学んだジェクス=ブレイク photo by gettyimages

船長や乗組員と科学者たちの信頼、そして、科学者からも犠牲者を出した「チャレンジャー号・世界一周深海探査」……。

じつにキャラクターの濃い面々が、それぞれに、逆境のなかで懸命に生きていたのだ。

そもそも筆者が150年前の『ネイチャー』を読みはじめた動機は、現在の日本の科学をおおう閉塞感や、急速に進む情報革命にともなう副作用、それに対する漠然とした不安といった、もやもやした時代の空気に、なにかヒントをくれるのではないかという期待だった。

150年の時を超えて、彼ら・彼女ら当時の科学者たちが私に問いかけてきたのは、人としての生き方についての信念、「志」だった。