150年前のSNS!? 創刊直後の『ネイチャー』が超絶面白い

ダーウィンが「いいね」した日本特集
瀧澤 美奈子 プロフィール

ダーウィンが予見した「日本の未来」

当時のスコットランドは産業革命の中心地であり、「世界の工場」とよばれていた。

その伝統であった実学思想は、「身分を超えた個人の能力」と「共同体繁栄への貢献」を重視した。そして、「社会発展の原動力は、困難に立ち向かうエンジニアである」と考えた。

ようするに、ダイアーらは日本の学生たちに、エンジニアとしての心がなんたるかを教育したのである。彼らから受けた薫陶こそが、新生日本の若者を奮い立たせ、のちの日本の繁栄を決定づけたと言っていい。

また、米国人動物学者のエドワード・モースによる「大森貝塚の発見」も、複数回にわたって『ネイチャー』誌面に登場している。モースは日本と日本人を愛し、日本の学術への支援を惜しまなかった。

【写真】大森貝塚
  大森貝塚跡に建つ碑 撮影・講談社

そのモースの大森貝塚の研究に対して、日本側が十分な資金を振り向けている状況を知り、『ネイチャー』に「将来の日本の科学の進歩にとって、最も有望な兆候である」と述べて日本の科学の発展を予感したのは、他ならぬチャールズ・ダーウィンであった。

創刊初期の『ネイチャー』を通して、開国直後の日本が科学や技術をどのように導入したかを知ると、「日本はなんと幸運だったことか」という感想を抱かずにいられない。

「19世紀のSNS」!?

当時の『ネイチャー』最大の特徴は、「Letters to the editor」という欄に見ることができる。

読者が編集部に宛てた手紙が掲載される読者投稿欄は、週刊であったことから即時性を備えていた。今でいう、"SNS"の機能を果たした欄であるといえる。

『ネイチャー』の購読者は、雑誌が届くとすぐに封を開け、記事を読んで、自分の意見を書き、その意見をすぐにポストに投函する習慣をもっていた。そして、次号の読者投稿欄にさっそくその内容が反映されたのだ。

当時、イギリス全土に張りめぐらされていた郵便網のおかげとはいえ、編集部はさぞ大変だっただろうと想像する。

【写真】届くとすぐに読み、自分の意見を投稿した
  読者は、届くとすぐに記事を読み、自分の意見を投稿した(雑誌を読む人たち〜19世紀の挿絵より) photo by gettyimages

創刊当初の誌面を賑わせたテーマのひとつに、「カッコウの卵」論争がある。

カッコウは、産んだ卵を自分で育てずに、他人の巣に卵を産みつけて育児を任せてしまう、「托卵(たくらん)」という習性をもつ。

「カッコウは育児を任せる相手の卵に似た色や模様をした卵を産むことができる」という、権威ある教授の論文が掲載されると、次々と疑問や反論の投稿が殺到した。

「あなたの興味深い論文について、私に少しスペースをいただけますか?」

「あなたの非常に優れた論文が出てからしばらく時間がたちましたが、このことを話題にするのに遅すぎることはないと、私は信じています」

「この論争について、私の観察結果を述べることをお許しください」

などとしながらも、つづけて「あなたの主張の必要性は地に落ちます」などと書いている。19世紀のイギリス紳士らしく、礼儀正しく、シニカルに、でも内容は結構辛辣なのだ。