# 政治・社会

パキスタンで腎臓移植手術を受けた日本人の悲劇

臓器移植の闇を追って・その1
高橋 幸春

2月6日、イスラマバードのクリニックで移植手術を受けた。

免疫拒絶反応が起きて、1週間後には移植臓器を摘出しなければならなかった。その翌日には意識不明の重体に陥った。24時間後、意識は回復したが、生命の危機から脱したわけではない。

 

「手術の後、ほとんど意識がなく、その頃のはっきりとした記憶がありません。覚えていたとしてもぼんやりとした記憶なんです」

重体のまま、北京経由の中国国際航空で帰国しようとした。

「パキスタンに迎えに行くには査証が必要になります。それを取っている時間がなく、夫が北京経由で戻ると聞き、北京までは迎えに行くようにチケットの手配をしました」

妻の良枝さん(仮名)が当時の状況を語る。

しかし、武さん本人はイスラマバードの空港で、二度にわたって搭乗拒否に遭ってしまった。

「夫はとても飛行機に乗せられるような状態ではなかったのです」

「もうダメかもしれないと」

タイ航空にチケットを切り替えて帰国を試みた。その時にテロ事件が発生し、空港が閉鎖された。武さんの症状は悪化する一方だ。

空港閉鎖が解かれるという情報が入った。足止めをくっていた外国人が出国しようとチケットを取り合った。エミレーツ航空のチケットをよやく入手することができた。イスラマバードから一度西にあるドバイに向かい、そこで乗り換えて成田に戻るというコースだった。

「成田空港に戻ってきた夫を見て、もうダメかもしれないと思いました」

この時の様子を語る良枝さんの声は今でも震える。

「すぐにでも救急病院に搬送してあげたいと思いました。でも、移植斡旋業者からは、海外で移植を受けた患者は日本の病院では診療拒否に遭う、診察してくれるのは愛媛県宇和島にある病院だけと、聞かされていたのです」

成田空港からは松山までLCCが飛んでいたが、その日のフライトはすでに終わっていた。空港近くのホテルで1泊した。

「夫はジャンパーの下にTシャツを着ていましたが、脇腹はナイフで刺されたように、絞れば血が滴ってくるほど浸み込んでいました。着替えさせてやりたかったけれど、とてもシャツを脱がせるような状態ではありませんでした」

翌朝、武さんが寝ていたベッドは血液だけではなく、体から浸み出た体液で濡れていた。

「松山空港まで夫の命は持つのだろうか、と正直思いました」

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