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真に目指すべき坐禅の心とは?

「七色の後光」ではなく「木や石の置物」へ
南 直哉 プロフィール

そこにいたのは、アメリカ、カナダ、ドイツ、メキシコなどから参加の、性別・年代、出家・在家それぞれ様々な、10数名の修行者だった。私は彼らとおよそ100日、坐禅と勉強と作務(修行としての労働)を共にしたのである。

 

おそらく、釈尊や道元禅師の初期教団もかくのごときものだったろう。出家者の法衣も、在家用の坐禅着も、坐蒲(坐禅用蒲団)も、何もかも手作りで、設備も道具も整わぬまま、しかし、彼らは師と慕う老僧の下、文字通り心身を挙げて坐禅に打ち込んでいた。

中にはどうしても結跏趺坐が出来ない者もいた。彼は、浮いた膝に手製のクッションをあてがい、転びそうになるのを堪えるような姿勢で坐っていたのだ。そのソクラテスのごとき横顔を見たときには、滑稽だが剛毅で、まさに心魂の入った気合十分の坐禅に、深く感じ入ったものである。

私がどうしても坐禅をものにしてやろうと決意したのは、このアメリカでの経験ゆえである。つまり、自分の坐禅の型を完成させるだけでなく、ブッダと道元禅師の教えを学び直して、坐禅を自分なりの仏教解釈の文脈に位置付けようと考えたのである

帰国後、私はいささか極端な坐禅修行を始めた。古参になって増えた、自由に使える時間の大半を、坐禅と勉強につぎ込んだのだ。

日課の坐禅とは別に、誰もいない時間の坐禅堂で、連続2時間程度はザラ、さらに自室で4、5時間ぶっ続けに坐ることもあった(一部の古参僧侶には個室が与えられる)。いま私の足は左右の長さが違う。足を組み替える算段をせずに坐禅し続けたので、左足の脛が右足より大きく湾曲してしまったのである。

勉強で必要な書物を買う金はサラリーマン時代の貯えを当てたが、あっという間に底をつき、本屋に20万を超える借金が残って、師匠に泣きついたこともあった。

オーラが溢れ、猫も避ける坐禅

かくして永平寺の修行も7、8年が過ぎ、私は「ダースベイダ―」などと陰で呼ばれて、若い修行僧を睥睨していたら、好き勝手ばかりしているなとばかり、山内上層部の命によって役職位に就けられてしまった。

そのいくつかの役目の中には、一般の参禅者に対する指導もあって、時々坐禅の実技指導もしていたのだが、ある日、夜の坐禅が終わったら、1人の参禅者が近づいてきて、是非報告せねば、という調子で言った。

「あの、和尚さん。すごいですね! 坐禅に後光が射していましたよ!」

私は返す言葉も無くドギマギしてしまったが、内心、オッ!と思った。というのも、当時、私は自前の坐禅の型も決まり、坐ったとたんに一発で坐相を安定させることができるようになっていて、坐っている最中、気力というかエネルギーというか、内部に何かの力が充実してくる感覚があったからである

さらに2、3年が過ぎ、やはり坐禅姿を見た人から「炎のような青いオーラが出ている」などと言われて調子に乗っていた頃、私は永平寺近在の寺に住職することになり、時々永平寺と寺を行き来し始めた。