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韓国政府が無視していた慰安婦の記憶が「問題化」した知られざる経緯

慰安婦問題②記憶の変化
キャロル・グラック プロフィール

証言者たちが果たした役割

グラック教授 重要なポイントに近づいてきました。これまでは、記憶の活動家について話してきましたね。では、元慰安婦自身は記憶をつくる上でどのような役割を果たしたのでしょうか。

1991年に3人の元慰安婦が名乗りを上げ、日本政府を相手に訴訟を起こしたことで、元慰安婦たちの長い沈黙が破られました。それから、一人、また一人と自分たちの話を語り始めました。終戦直後はトラウマあるいは不名誉という思いがあって、語ろうとする人は少なかったでしょうが、なぜ1990年代には話せるようになったのですか。 

ディラン 女性に対する暴力について、社会の態度が変わったからですか。 

グラック教授 それは一つの要因ですね。では、元慰安婦たちがそれぞれ一人で声を上げていただけだったら、その声は社会に響いたでしょうか。 

数人 ノー。 

グラック教授 なぜ彼女たちの声が注目を集めることができたのか。記憶の活動家も、重要な役割を果たしたのです。前回の講義で個人の記憶の話をしましたが、個人の過去について話せない理由としては、トラウマがあるという心理的な要因も、誰もその声に耳を傾けたがらないという社会的要因もあります。ですが、今は社会が聞く耳を持つようになった。それがあってやっと、元慰安婦たちが口を開くことができるようになりました。ほかに、彼女たちが話せるようになった理由は何でしょうか。

ダイスケ これが理由であってほしくはないですが、補償してほしかったということはありますか。 

グラック教授 元慰安婦たちが証言した主な目的は、補償を求めることよりも自分たちが苦しんだ過去を公然と認められるようにする点にありました。補償というのは、訴訟の際に出てくる考えですね。 

 

ニック 終戦から1990年代まで長い時間が経過して被害者の家族たちが亡くなったことで、家族に押される烙印を心配する必要がなくなったからではないですか。 

グラック教授 そうですね。理由の一つは、証言をしたときに元慰安婦たちが年を召していたこと。退役軍人を含め、年を重ねて人生のある時点に来ると、十分な時間が経ったとか最後のチャンスであるという理由で、話したくなることもあります。証言した元慰安婦たちのうち何人かは、夫が亡くなってから話そうと思っていた、と明かしました。20歳の時には話せなかったことを話せるほどに高齢になっていたのです。 

では彼女たちが何を求めていたかと言えば、公に知ってもらいたい、自分たちの話を伝えてほしいということです。日本政府による認知、謝罪、補償、そして次の世代への教育です。この四つは、ホロコースト犠牲者の家族や強制労働者など、第二次大戦の被害者が求めているものと同じです。 

歴史というのは、通常は史料に基づいて書かれるものです。それが、この頃にはオーラルヒストリー(口述歴史)や証言が「認められる」ようになり、「証言の時代」とも呼ばれました。ではなぜ、慰安婦の証言は認められるようになったのですか。 

慰安婦問題解決を求める「水曜会」25周年集会にて Photo by Woohae Cho/Getty Images 

トム 以前から慰安婦の存在は皆知っていたのに、慰安婦自身は声を上げていなかったところ、声を上げ始めたからでしょうか。 

スコット 日本政府が史料を廃棄していたからでしょうか。 

グラック教授 終戦時、たしかに日本政府は史料を廃棄しましたが、史料を廃棄するのは日本だけではありませんよ(笑)。それが理由ではありません。慰安婦について、そもそもどれほど史料があったと思いますか。 

一同 全く(なかった)! 

グラック教授 そのとおり。特に性的暴力というのは、一般的には「記録化」されていない性質のものです。強姦の記録が、史料として残っているでしょうか。そんななかで、慰安婦のような被害者の声によって何が起きたのかが明るみに出ることがあります。