Photo by Q Sakamaki

韓国・アメリカ・日本…米コロンビア大学生たちが語る「慰安婦問題」

慰安婦問題①世界の記憶

日本近現代史を専門とする米コロンビア大学のキャロル・グラック教授(歴史学)。『戦争の記憶 コロンビア大学特別講義―学生との対話―』(講談社現代新書)には、グラック教授がコロンビア大学で多様な学生たちと「戦争の記憶」について対話をした全4回の講義と、書きおろしコラムを収録している。

評価や単位認定の対象にならない対話式の特別講義には、コロンビア大の学生11人~14人が参加した。育った場所が日本、韓国、中国、インドネシア、カナダ、アメリカ各地と国際性に富んだ彼らが、一人ひとりの視点から「戦争の記憶」を語る。そこで浮かび上がるのは、各国それぞれ違う、戦争の記憶の「作られ方」だ。

本作の発売にあたり、3回目の講義、「慰安婦の記憶」を3回にわたって全文掲載する。長く語られなかった慰安婦問題が90年代にアジアで噴出したのはなぜなのか。グラック教授が学生たちとの対話を通してあぶり出す、私たちの知らなかった「慰安婦問題の背景」とは――。

グラック教授(写真中央)と様々な国の学生達Photo by Q Sakamaki

慰安婦問題が共通の記憶になるまで

グラック教授 前回は「記憶の作用」についてお話ししました。通常はあまり変わることのないある国の「戦争の記憶」が変化するとき、その変化をどのように理解したらよいのかについて考えましたね。「記憶の領域」や「記憶が変わる方向性」「政治の文脈」という視点から、「共通の記憶」がどのようにつくられて伝達されていくのか、どのように変化するのかについて議論しました。 

3回目となる今日は、「共通の記憶」について「慰安婦」をケーススタディーとしながら、さらに考察してみようと思います。現在、慰安婦について知らない人は少ないかもしれませんが、以前からそうであったかというと違います。つまり、本日お話しするのは、「慰安婦が共通の記憶に取り込まれるプロセス」についてです。
まずはこの質問から始めたいと思います。慰安婦について初めて耳にしたのはいつでしたか。

トム 2014年頃、大学の学部時代に日本史の講義で初めて聞いたと思います。 

 

グラック教授 その講義のテーマは、第二次世界大戦に関してでしたか。 

トム 1600年から第二次世界大戦の終わりまでという幅広い内容でした。 

グラック教授 2014年でしたら、現代日本史の講義で慰安婦の話が出てくる可能性は十分にありますね。この頃までには、慰安婦の問題は共通の記憶としてたびたび取り上げられていたからです。それより25年前に大学に通っていたとしたら、慰安婦については習わなかったでしょう。ほかには? 

ジヒョン 1990年代半ばだったと記憶しています。名前は覚えていませんが週刊誌で読んだと思います。私は韓国出身なのですが、1994年にインドネシアに移住しました。インドネシアで、購読していた韓国の雑誌で読んだような気がします。 

グラック教授 そのことについて誰かと話をしましたか。それとも、自分で読んだだけですか。 

ジヒョン 自分で読んだだけです。インドネシアでは慰安婦について特に一緒に話す人はいなかったので……。 

グラック教授 分かりました。ほかには? 

ニック 大学の学部時代に日本史と中国史のコースを履修していましたが、そのときには慰安婦については習いませんでした。ただ、家族と一緒に2000年初頭に日本に移住して、ニュースの中で教科書問題について聞いた覚えがあります。この頃には、慰安婦よりも先に『ザ・レイプ・オブ・南京』(1997年、中国系アメリカ人作家アイリス・チャンによる南京事件に関する著作)や教科書問題のほうがメディアで論争を呼んでいたと思います。慰安婦問題は、それらに付随する形で出てきたような印象です。 

グラック教授 2000年初頭に、メディアを通じて知ったのですね。アイリス・チャンの著作は1997年に発売されて、既に論争を呼んでいました。では他の人。慰安婦については、初めて聞いたのはいつでしたか。

ダイスケ いい答えではないかもしれませんが、いつどこでだったか覚えていません。

グラック教授 なるほど。ずっと前から知っていたということでしょうか。いつ聞いたのかを覚えていないということは、覚えていないほど前から知っていたという可能性もありますね。高校を卒業したのはいつですか。

ダイスケ 2008年です。