「もう若くないから」は禁句

中野:あのね、この本を読んでいる人全員に実感してほしいんですけど、今この瞬間があなたのこれからの人生においては一番若いんですよ。だから、「私なんてもう若くはないから」という考え方で何かを諦めることはしないでほしいと思う。

スー:おっしゃる通り。すべての人類は今日が一番若い。そして明日になると一日分、年を取る。その刻一刻と目減りしていく貴重な若さという資源を、自分以外の誰かに値付けさせてほしいの? って話だな。

じゃあおばさんが損かというと、そんなことはまったくないんだよね。日々の出来事に新鮮味はなくなるけれど、あらゆる物事の工程をうまいことはしょれるようになるから。目の前のタスクに効率よく、楽に向き合えるようになる。そういう意味ではおばさんってすっごい得だなと思うわ。

中野:20代のときはステージ1をクリアするのに1週間ぐらいかかってたけど、40代になったら1時間でクリアできた、みたいな感じになるよね。時間と経験がある意味トレードオフされるから。だからどんな場面でも「得していたい」と考える人は、自分の中の評価軸を柔軟に変えていくといいと思う

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やっぱり美人は得なのか?

スー:とはいえ、「やっぱり美人のほうが得なのでは?」と思う場面が多いのも事実。ちっちゃいことで言えば、ラーメン屋さんで「美人さんにはチャーシュー1枚おまけしとくね!」と頼んでもないサービスがつく、みたいな。

デメリットもあるかもしれないけどトータルで見ればメリットのほうが多いような気が……。

〔PHOTO〕iStock

中野:金銭的得で見るなら、「美人」のほうが得というのは行動学的リサーチでもたくさんのエビデンス(証拠、根拠)があるよね。ただ、損得というのは必ずしも一元的ではない。金銭的報酬・物理的報酬だけが報酬ではないんです。人間としてどう扱われるのか、という社会的報酬、もっとシンプルな感覚的報酬、知的好奇心がみたされる知的報酬もある。

たとえば、失業が人に与えるイメージって収入源を失うことだけじゃないよね。金銭面だけで見れば、生活保護など当面を生きられる手段は何かしらあったりする。むしろ「自分が社会から必要とされていないんだ」というメッセージを受け取ることのほうがその人にとってはつらいという。これが金銭的報酬と社会的報酬の位置づけ。つまり、ある人にとっては社会的報酬の方が上であれば、美人ではないほうが得というケースが生じる