ここは私が選んだ場所じゃない

美千代さんは徹さんから逃れる作戦を考えた。塾で学びたいと、母親に訴えたのだ。しかし美千代さんの母親は、それを徹さんに相談してしまった。徹さんは「自分が責任をもって教えるから、家庭教師は続けさせてほしい」と訴えた。母親は、娘の希望よりも家庭教師の意見を尊重した。このとき美千代さんは絶望に近い感覚を覚えたという。

また、美千代さんの中学3年生のときの担任は、学校を休みがちなやる気のない先生だった。志望校を決める三者面談で担任は、美千代さんが聞いたこともない新設高校を志望校にするようにと言った。美千代さんにはほかに行きたい高校があったのだが、母親はその場で「わかりました」と言ってしまう。ここでも美千代さんの意見は聞いてもらえなかった。

「母は、徹さんにしても担任にしても『先生』という存在を絶対的な存在だととらえていたのではないでしょうか」

行きたくもない高校のために受験勉強をしなければならない。しかも、大声で怒鳴られ て、涙を流しながら。そんな状況で美千代さんの本来の実力が十分に発揮できたとは到底思えない。実際、成績はそれほど上がらなかった。恐怖に震えながら鉛筆を握り、間違いを恐れながら問題を解く。そんな受験勉強を経て、なんとか見知らぬ高校に合格したが、喜びは感じなかった。

自分が行きたいと思ったことのない学校に受かっても、喜びは感じない Photo by iStock

高校受験を終えて、美千代さんはようやく徹さんのスパルタ教育から解放された。しかし苦しみは終わらない。美千代さんは高校時代を「氷に閉ざされた3年間」と表現する。楽しかった思い出はほとんどない。全身の感覚が麻痺したまま、ただ学校に通う日々だった。

いじめにあっていたわけではない。先生に意地悪されていたわけでもない。未だに理由はわからない。学校が、とにかく居心地悪かった。 

ここは私が選んだ場所じゃない」。当時の美千代さんは無意識の中でそう感じていたのではないかと私は想像する。美千代さんにとっては、高校の3年間が、家庭教師のあの指導の延長線上にあった。常に窒息しそうだった。大学受験は全滅した。

「このままでは自分はダメになってしまう。頑張るならいましかない」と奮起した。美千代さんはこのとき初めて、自分で自分の人生を切り拓こうという発想をもつことができたのだ。それと同時に、いままでの自分が精いっぱいやっていなかったことに気づいた。自分にはまだ秘めた力があることを感じた。「生きる力」が蘇った。

浪人して、自分で定めた目標のために努力する楽しさを初めて知った。勉強を楽しいと思えるようになった。特に英語が好きになった。1年の浪人生活ののち、希望の短大に合格できた。短大での生活も楽しかった。就活もうまくいった。美千代さんは、自分の人生を、自分の力で取り戻した