〔PHOTO〕iStock

女性が「怒る」ことになぜ社会は不寛容なのか、その歴史的経緯

「感情史」の視点で考える

社会には「感情表現のルール」が存在する

フェミニスト的発言をする女性は怒りっぽく、感情的であり、過激であり、不寛容である。

そのような言説が、ネット上には溢れている。

一人一人の「フェミニスト」とされる人物の発言が本当に過激で不寛容なものであるかの判断は、とりあえず措いておく。個人的に気になるのは前段、フェミニストの女性は「怒りっぽく、感情的だ」という言説である。

ネット上で男性論客が過激で不寛容な発言をしたとしても、「怒りすぎだ」という理由で批判される頻度は、女性論客と比べると格段に低いし、その怒りが許容される度合いもはるかに高い。しかし、フェミニスト女性の言動について「怒りっぽい」と述べるだけで、その発言の信憑性が低いと言外に示唆することが可能となる

発言内容の妥当性ではなく発言の仕方によって批判を行う「トーン・ポリシング」という概念も徐々に知られるようになってきているが、「トーン・ポリシング」のありようは、その攻撃対象が男であるか女であるかによってずいぶんと異なるのが実情である。

 

女性が怒りをあらわにすると、なぜこれほどまでに批判されるのだろうか。それを解くカギの一つが「感情史」にある。多くの社会や組織には「感情表現のルール」が存在する。怒り、喜び、悲しみといった感情をどのように表現するのが適切で、あるいは不適切なのかについての規範が制度化され、多数派、あるいは社会で中心的な地位にある人びとにとっては暗黙の了解となっている。「トーン・ポリシング」もまた、「ルール」の一例である。

そうした感情規範がどのようにして形成され変化していったのかを考察するのが、「感情史」という、近年始まりつつある研究領域である。

ここでは、感情史研究の第一人者であるウーテ・フレーフェルトが著した『歴史の中の感情——失われた名誉/創られた共感』(櫻井文子訳、東京外国語大学出版会)から、「怒り」を中心とした感情と女性の関係について紹介したい。なお本書はそれ以外にも名誉や同情・共感という感情も論じているので、関心を持たれた向きは是非本書を参照していただきたい。

「女性は怒りに翻弄される」

フレーフェルトによれば、17世紀までのヨーロッパ社会は厳格に階層化されていたため、感情規範についても重要なのは社会的な地位や身分であり、男であるか女であるかの違いは二次的な問題であった。

しかし18世紀に近代社会が始まり、社会的な地位が流動化するとこの状況が根本的に変わる。近代科学の発達により、男女の不平等は自然が定めたものであるとされるようになる。それによって、男女の感情にも生物学的な差違があると主張されるようになった。