私たちがまだまだ知らない「東京裁判」とは何だったのか?

傑作映画の修復版が公開される意味
栗原 俊雄 プロフィール

裁判の問題点

東京裁判に対しては批判が多い。まず敗戦国を戦勝国が裁くという構図自体、裁判が報復の手段と化す可能性を高めた。少なくともそういう疑義を呈されることになった。歴史の批判に耐えうるためには、戦争と関係ない国の裁判官を起用すべきだった。

また、被告の選定にも問題がある。「A級戦犯」とされた被告28人以外にも、法廷に立つべき人間はいた。さらにブレークニーが指摘した「事後法」、すなわち実行の時点では適法であった行為に対して、後になって刑事責任を問う法令の問題もあった。

筆者も、東京裁判は非常に問題の多い裁判だったと思う。ただ確認したいのは、東京裁判の不当性をどれほど指摘しても、そしてその指摘が正しかったとしても、裁かれた為政者たちに問われるべき責任がなかったことを証明することにはならない、ということだ。

第二次世界大戦では日本人だけで310万人が死んだ。生き残った者たちも、心身に大きな傷を負った。日本社会全体にも、現在に至るまで大きな負の影響を及ぼしている。

戦争はだれかの作為なり不作為によるものだ。東京裁判ならずとも、責任を問われるべき為政者はたくさんいたのだ。

(C)講談社2018

デジタルでいっそうの見応え

映画東京裁判は、弁護団や一部判事らの主張などを紹介する形で、上記のような裁判の問題点を明らかにしている。

有名なパール判事が被告の全員無罪を主張したことを詳しく紹介する。パルは裁判所は日本の行為が始めから侵略戦争であると決めつけたことを批判し、アジアにおける欧米の行為こそを「侵略」と断じた。

「全員無罪」と欧米の「侵略」だけに注目すると、大東亜戦争=正義の戦争史観の人は溜飲が下がるだろう。しかしパルはこの時、一部で言われるような「日本無罪論」を主張したわけではない。

パルは東京裁判が戦勝国の恣意的な法理を基盤にしているものであり、それによって起訴された被告は論理的に無罪である、としたのだ。パルは被告たちやその施策が正統であった、としたわけでもない。

映画はパルが「被告たちや日本国の行動を正当化する必要はない」としたことも、しっかりと伝えている。この映画の、特定の歴史観によることなく、歴史をしっかりと伝えようとする姿勢を象徴する場面である。

さてアメリカはこの裁判のフィルムを商品化する意図はなかっただろう。それゆえか、小笠原によれば「(制作する米側の)スタッフの技量がばらばら。マイクの取り方はよく聞こえる声があるが、聞こえない声もある。画面も真っ白だったり真っ黒だったり」した。

映画化にあたり、こうした調整には膨大な時間と労力がかかった。しかし今回のデジタルでは、はるかに容易だった。

「歴史映像や音声が鮮やかに回復された。まるで魔法のようでした。臨場感に満ちた完成品として公開されるのは、スタッフ一同の本懐です」。小笠原はそう話している。

現代史に関心にある人にこそ、新たな魅力を得た傑作をみてほしい。

【東京裁判】
2019年8月3日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開
企画・製作・提供:講談社
配給:太秦
公式サイト:www.tokyosaiban2019.com