私たちがまだまだ知らない「東京裁判」とは何だったのか?

傑作映画の修復版が公開される意味
栗原 俊雄 プロフィール

日本の現代史を左右した為政者たちが法廷に立つ。自分や祖国の名誉のために雄弁に語る者もいれば、ほとんど沈黙の者もいる。そのしぐさや語り口に見る者は引き込まれる。

アメリカ人の弁護士が、裁判の少し前まで戦っていた日本人のため渾身の弁護をする。そうした弁護士と裁判長との衝突、自分の身を守るためにウソをつく証人もいる。

被告が別の被告を非難する場面もある。オーストラリア人のウエッブ裁判長が淡々と告げる判決「デス・バイ・ハンギング」(絞首刑)を聞く被告たちの表情……もろもろ、現代史の画期を映像と音声で記録した一次資料である。

素材は一級品。1年で完成させる予定だった。しかし制作にとりかかると「予想をはるかに上回った難物」で、「順風満帆で出航した当時には予想もしなかった波乱」(小笠原)の日々だった。

まず脚本づくりが難航した。日本の近現代史のみならず世界のそれをも描かなければ、東京裁判を理解することはできない。

フィルムをただつなげるだけでは、作品にならない。結果として4時間37分に及ぶ作品になるのだが、それだけの長編となれば、確かな幹となるべきストーリーが求められる。

当然、フィルム以外に集めるべき関連資料は膨大になる。さらにフィルムを含めて必要なものを選び、不必要なものをそぎ落とす歴史眼も必要だ。

小笠原の参加で脚本は完成した。しかしフィルムの扱いにも悩まされた。オリジナルは雑音が多い。そこから英語を聞き取って英文に起こし、和訳する。これを日本語版の裁判速記録全10巻に照合してゆく。膨大な労力を費やした。

記録フィルムは必ずしも好材料ではなかった。分量は膨大だ。しかし一般にイメージされる裁判の全編記録ではない。小笠原は当初「米軍が湯水のようにフィルムを使って撮った、と思っていました」。しかし実際は違った。盛り上がりそうな場面で映像や音声が切れることがしばしばあった。

 

映画は日本の中国侵略から、おおむね時系列で描かれる。裁判のフィルムだけではカバーできないのは当然だ。戦前から戦後のニュース映画などの資料が効果的に織り込まれる。例えば、ソ連によるシベリア抑留に言及している点だ。

映画製作当時、アカデミズムにおけるシベリア抑留研究は絶望的に立ち遅れていた。ジャーナリズムも同様である。

本作は抑留経験者で画家の佐藤清に協力を依頼、体験を描いた絵画で抑留の様子を伝えた。ソ連は国際法違反の抑留を隠すため、写真などの持ち出しを固く禁じた。

このため、体験者が描く絵画が一次資料なのだ。小笠原の兄が抑留経験者だった縁で、佐藤の協力を得たという。