(C)講談社2018

私たちがまだまだ知らない「東京裁判」とは何だったのか?

傑作映画の修復版が公開される意味

現代史に関心のある人ならば「東京裁判」を知っているだろう。

日本現代史の大きな画期となった法廷を記録した映画「東京裁判」(小林正樹監督)が4Kデジタルマイスターで修復され、8月3日、東京・渋谷のユーロスペースで封切りし、全国で順次公開される。

現代史映像ドキュメンタリーの傑作ができた経緯と、見どころを改めて紹介したい。

 

東京裁判とは

東京裁判(正式名極東国際軍事裁判)は1946年5月3日から48年11月12日まで、2年半に及んだ。

判事団はアメリカ、中国(中華民国)、イギリス、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、フランス、オランダ、インド、フィリピンの11ヵ国で構成された。

日本の軍人や政治家などA級戦犯28人が起訴された。裁判中死亡した元外務大臣、松岡洋右と元海軍元帥、永野修身、病気で免訴となった大川周明の3人以外、全員が有罪だった。

東条英機、土肥原賢二、松井石根、武藤章、板垣征四郎、広田弘毅、木村兵太郎の7人が死刑判決を受け、12月23日に絞首刑となった。首相や外相などを歴任した広田以外、全員陸軍の軍人だった。

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紆余曲折の制作過程

裁判自体の詳細は映画に譲り、制作過程を振り返ってみよう。映画は講談社の創立70周年プロジェクトとして制作され、1983年に公開された。完成まで5年、紆余曲折があった。

本作で小林監督の補佐、脚本も担当した小笠原清によれば、東京裁判の映画化を最初に進めたのは小林自身であった。まず1970年ごろ、東宝で企画が進んだ。脚本は完成したが、膨大な制作費が見込まれたため見送られた。

折しも、米国立公文書館で、東京裁判関係の資料公開が始まった。日本でも一部研究者らの関心を引いた。

井上勝太郎プロデューサーらが渡米、関係フィルム582本を入手した。77年、井上らは講談社に、この資料を基にした写真集の出版を打診。同社は、写真集ではなく映画化に関心を持ち、翌年には制作態勢を整えた。

監督は小林に依頼。「スケールの大きい、質の高い作品を」という狙いからだった。早くから映画化を目指していた小林に話が行くのは偶然ではあったが、運命的なものを感じさせる。

この映画の大きな魅力は、圧倒的な臨場感だ。