講談社五十年史から消された、戦争と「顧問団」

大衆は神である(59)
魚住 昭 プロフィール

顧問団の問題

思いは、木村や辻らも同じだったようだ。彼らは座談会が佳境に入ったところで、次のようなやりとりを交わす。

〈木村 (五十年史で)非常に削られて残念だと思うのは、戦時中の顧問団の問題、これは現れなかったな。僕ら是非、あれは残したいと思っていた。

 辻 あれが残っていたら、評判になっているよ。

 白川 あれはずっと(ゲラの)最後まで残っていました。

 木村 加藤(謙一)さんは削ってくれというのだが、断じて削らせんというので、僕は窪田君とあそこ(野間省一・第四代社長との会談場所となった柳橋の料亭)へ寄って……。

 辻 僕も行きました。

 木村 ああ、君も行ったか……。〉

やりとりの途中だが、補足説明をさせてもらう。

「戦時中の顧問団」とは昭和16年はじめ、陸軍側の要請により講談社が顧問として受け入れを迫られた外部識者14人のことだ。

 

14人は、

①陸軍情報部に属する大東研究所

②大東研究所と提携する民間団体の日本世紀社

③文部省の外郭団体である国民精神文化研究所

――という3つの団体の関係者である。

主な氏名を挙げておくと、大東研究所所長・城戸元亮(きど・もとすけ。元大阪毎日新聞会長)、同所員で情報部嘱託の大熊武雄(おおくま・たけお。政治軍事)、阿部仁三(あべ・じんぞう。教育思想)、日本世紀社の主宰者・花見達二(はなみ・たつじ。元読売新聞政治部)、同人の中河与一(なかがわ・よいち。作家)、国民精神文化研究所の所員・伏見猛弥(ふしみ・たけや。教育学)らで、いずれも日中戦争以降の国民精神総動員運動に活躍した“陸軍御用達”の知識人である。

顧問団を受け入れたら、出版社としての独立性は損なわれ、陸軍の思惑に沿った編集をせざるを得なくなる。講談社にとってある意味、存亡の危機だったと言っていいだろう。