講談社五十年史から消された、戦争と「顧問団」

大衆は神である(59)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業者・野間清治の波乱の人生と、日本の出版業界の黎明を描き出す大河連載「大衆は神である」。

多年の辛労と無理が清治の体を蝕んでいた。昭和13年10月16日、急性狭心症で逝去。講談社社員はその訃報を聞き茫然自失する。大病に侵されていた長男・恒も後を追うように息を引き取った。ひとつの時代が終わろうとしていた――。

第七章 紙の戦争──書かれざる部分(1)

「本当のところ」

『講談社の歩んだ五十年』の刊行から5ヵ月後の昭和35年(1960)3月、社史の制作に携わった5人が集まり、「社史編纂を顧みて」と題する座談会を開いた。

出席メンバーは、執筆責任者の木村毅(きむら・き。文芸評論家)、その補佐役をつとめた辻平一(『サンデー毎日』元編集長)、窪田稲雄(講談社社員)、白川栄子(慶応大学仏文科出身)、そして、足かけ7年がかりで資料の収集や取材にあたった笛木悌治である。

 

速記録によると、冒頭、司会の笛木が座談会の趣旨を次のように述べている。

〈講談社の五十年史が、七年がかりで完成いたしまして、昨秋、創立五十年式典を前に関係者に広く配布し、予期以上の好評をいただいたのですが、その後始末とでも申しますか、とくに木村先生からのお話で、どんなふうにしてこの社史ができたのか、いっぺん関係者で話し合って、それを残してはどうかとお話がございまして、これは非常にありがたいご提案でございまして、本日これからそれをお願い申し上げるわけです。ひとつ、今日は本当のところをお話しいただいて正しい資料を残しておきたいと思います。この先、七十五年史をやりますか、百年史をやりますか、それはあとのことでわかりませんが、いずれはそうした機会に、これが非常に役立つだろうということを信じております。その意味合いにおきましてひとつ率直に、実感をお話しいただきたいと思います〉

笛木の挨拶にただならぬ意図が潜んでいるのにお気づきになられたろうか。

彼はことさらに「本当のところをお話しいただいて正しい資料を残しておきたい」と述べている。裏を返せば、『講談社の歩んだ五十年』(以下、五十年史)には書こうとしても書けなかった「本当のところ」があるということだろう。それを座談会の形で記録にとどめ、後世の社史執筆者に伝えたいと言っているのである。