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『この世界の片隅に』は家制度を頭に入れて観るとよくわかる

すずと義姉径子の不安定な立場
漫画、そしてアニメ映画で多くの人びとの心をとらえてきた『この世界の片隅に』。8月3日にはアニメ映画版が地上波で初放送され、12月には新作のアニメ映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が公開される予定だ。綿密な取材をもとにつくられたこの作品は、戦時下の人びとの日常を知るうえで多くのヒントがつまっている、と日本近現代史を専門とする一ノ瀬俊也埼玉大学教授はいう。今回は、この作品を題材に戦前の女性と家制度を考えてみたい。*以下の文章には、作品の内容に関する紹介が含まれていますので、ご注意ください。

「居場所」探しの物語

こうの史代の漫画『この世界の片隅に』とそのアニメ映画版は、広島県呉市を舞台に、戦時中のある女性の日常生活をリアルに描いた物語である。空襲や原爆、そして敗戦という異常な事態のなかでも、人びとはかけがえのない日常を強く生きていたという作品のメッセージは、多くの人の心を動かしている。たしかにこの作品は、戦時下の民衆生活の特徴を考えるうえで、多くの重要な手がかりを与えてくれる。

この作品は、主人公・北條すずの「居場所」探しの物語であるとよく言われている。では、すずの追い求めた「居場所」とは、具体的にいうとどこだったのだろうか。結論からいうと、戦前の民法に定められた家(イエ)である。戦前の家制度についての知識を頭に入れて読むと、物語は結末に至るまでよりわかりやすく、興味深いものになるのだ。

すずは1925(大正14)年、広島県広島市江波の海苔養殖業の家に生まれた。1944(昭和19)年、18歳で同じ広島県の呉市に住む北條周作と結婚する。周作の仕事は、海軍軍法会議の録司である。今日で言えば、書記官に相当する職である。同居している周作の父円太郎は、海軍の広工廠(ひろこうしょう)で飛行機のエンジンを造る仕事をしている。一家の暮らしは、海軍と戦争により支えられている。

1935(昭和10)年、国防と産業大博覧会の開かれた広島県呉市

すずの居場所は、北條家の主婦として家事を担い、家のあととりとなる子どもを産むことによって保障される。彼女はしだいに深刻となる物不足のなかでも、明るく生きようとするが、子どもができないのが悩みの種である。

なぜすずは、子どもを産むことを使命として課せられているのだろうか。それは、彼女の生きた戦前の日本の社会が、家制度によって成り立っていたからである。すずの使命は北條家のあととりを産み、彼ないしは彼女に家と先祖の供養を引き継がせることにある。子孫に供養してもらわねば、あの世へいっても魂の安らぎは得られないと、多くの人が考えていた時代であった。

家こそが国の根幹

すずの祝言は、呉の北條家で行われた。神前式ではなく仏前式である。仏壇が置いてある居間で、僧侶が経を唱える。これは、仏壇の中にいる先祖たちに新たに家の一員となったすずを披露するとともに、すずに家の嫁としての覚悟を持たせるセレモニーともいえる。