7月19日 日本初の予防接種(1849年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

この日、佐賀・鍋島藩の藩医で蘭方医の楢林宗建(ならばやし・そうけん、1802-1852)と、オランダの出島商館の医師オットー・ゴットリープ・モーニッケ(Otto Gottlieb Johann Mohnike[独]、1814-1887)が、長崎の出島において日本ではじめての種痘を実施しました。

種痘とは、天然痘に対する免疫を人工的に獲得させるためのもので、いわゆる予防接種の一種です。1796年にイギリスのジェンナー(Edward Jenner、1749-1823)が牛のかかる天然痘である「牛痘」のウイルスを用いて、はじめてヒトへの種痘に成功し、その後、世界中に広まっていきました。

楢林宗建は、長崎でシーボルト(Philipp Franz von Siebold、1796-1866)に師事、蘭学や西洋医学を習得しました。接種は、前年の1848年に天然痘が流行したときに、藩主の鍋島直正(なべしま なおまさ、1815-1871)に牛痘苗の輸入を進言し、実現したものです。

商館付き医師のモーニケに接種方法を学びましたが、取り寄せた苗は航海中に変質しており失敗、再度取り寄せた痘痂(かさぶたを粉末にしたもの)によって成功しました。この時の接種は、宗建の息子である建三郎に行い、藩主直正もその息子淳三郎(のちの鍋島 直大)に接種させ、成功しました。この時の病苗が株分けされ、日本中に広まったとされています。

【写真】『牛痘小考』
  楢林宗建の筆による『牛痘小考』。(千葉大学「古医書コレクション」より)

当時、日本は鎖国中だったため、諸外国から情報を得ることはとても困難でしたが、楢林宗建は藩の通訳者としての仕事を通じて、西洋の医学の情報を少しずつ入手していました。また、海外の医学書以外にも兵法、航海術などの書を入手し、藩に上納していたとも言われています。

当時としては禁書の類にとられかねないものでもあり、それを考えると、危険を冒してまで新しい知識を学ぼうとする姿勢に感服するとともに、それをバックアップする藩主の態度にも、幕末が近い当時の空気を感じさせます。