「家を出る」その思いだけが支え

知佳さんは県立の進学校に進んだ。以降勉強についてはとやかく言わなくなったが、干渉はさらに強まった。理由が何かは忘れたが、とにかく毎日約3時間は怒鳴られた。精神的な成長に伴って親を必要としなくなっていく知佳さんを、なんとか自分の管理下にとどめたかったのだろう。母親の無意識のしわざである。

志望大学を選ぶときも、知佳さんはよく考えた。あまりいい大学に合格してしまうと、母親がまた調子づいてしまう。さらに干渉を強めるかもしれない。かといって、あまりにレベルの低い大学に行くのでは怒りに触れる。母親が大喜びもしないし怒りもしない、ほどほどの大学を受けることにした。

作戦は成功した。家にいる限り母親の罵倒から逃れることはできなかったが、受け流すことはできるようになった。就職は、中学受験塾に決まった。 

「中学受験は親がする受験といわれていますよね。子どもの受験に命を懸けているような 母親も多い。そんな母親に、『あなたの受験じゃないんだよ。子どもの受験なんだよ』と伝えたかった。子どもを応援して、支えてあげたかった」 

そして、「もうすぐ、この家を出られる」。それが心の支えだった。

自分の中に棲み着いたもう一人の自分

中学受験塾では同僚にも上司にも恵まれ、仕事は楽しかった。子どものころに自分自身が望んでいたけど叶わなかったことと向き合うような時間だった。塾生たちをかつての自分と重ね合わせて応援し、母親たちとも向き合った。「力はおよばなかったけれど、メッセージは発することができたと思う」

30 歳直前で結婚。それから約1年後、夫が脱サラした。関西にある夫の実家の家業を継ぐためだ。知佳さんも手伝うために中学受験塾をやめた。長く辛かった過去を乗り越えられたと思っていた。引っ越してから、生活のペースも少しのんびりになった。幸せな生活だった。

しかし知佳さんはなぜかイラ立っていた。温厚な夫に対し、些細な落ち度を見つけてはくってかかることが増える。明らかに八つ当たりだ。自分でもそのことがわかった。理由なき怒り、焦りにさいなまれていた。最初は環境の変化のせいだと思っていた。

そろそろ子どもをとも思ったが、なかなかできない。とうとう生理も止まってしまった。 ベッドの中で、子どものころを思い出していた。ピアノを間違えて叩かれたこと、テストで悪い点数をとってさんざん罵倒されたこと、わけもなく殴られたこと……。

すると今度は、無力に頼りなさげに小さく縮こまっている子どもが、自分に助けを求めるように迫り寄ってくるイメージが見えた。 「イヤだ。こんな子ども、愛せるわけがない……」 その子どもこそ、知佳さんの記憶の中にずっと閉じ込められていた、かつての知佳さん自身だった。自分の中に棲み着いたもう一人の自分。届かぬ叫びを封印され、その存在すら忘れられてしまったかわいそうな子。 真夜中だったにもかかわらず、気づいたときには叫んでいた。「子どもなんていらない!」 

結婚し、仕事もやめ、自分が親になることを想像しはじめたことで、知佳さんは過去の自分自身と向き合わざるを得なくなった。引っ越して環境が変わってからの理由なき怒りや焦りはそのためだった。 そしてとうとうこの夜、封印していた過去の扉が開いてしまったのだ。押し込めていた感情が一気に噴き出す。

抑圧されたもう一人の自分のことを俗に「インナーチャイルド(内なる子ども)」と呼ぶことがある。このとき、知佳さんの中でじっと縮こまっていたインナーチャイルドが、 ついに暴れはじめたのだ。本来であれば母親にぶつけなければいけない怒りがやり場をなくし、いちばん手近な夫に向けられていた。 

自分らしい人生を歩もうと思ったら、いつまでも自分の本心を騙しているわけにはいかない。いつまでもインナーチャイルドを閉じ込めておくわけにはいかない。