兵庫県西宮市から神戸市灘区を中心に明治末期から昭和初期にかけて芽生えた〝阪神間モダニズム〞というハイカラでモダンな生活文化。その洗練された空気を、〈デルフォニックス〉代表の佐藤達郎さんと一緒に、のんびりと散歩しながら味わってみました。

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小説家を虜にするモダンな街。
村上春樹の感性を育んだ原風景へ

御影にある深田池公園から、佐藤さんが好きな大松のある坂道を眺める。見事な石垣も散策の楽しみだ。

続いて訪れた御影は、冒頭の大きなカーブの坂道がある街だ。駅の北側にある深田池公園を抜けると、件の坂道が現れる。道沿いの建物は、建築家・清家清の設計。そのまま進むと、洒落た集合住宅や立派な石垣の邸宅が続く。そして、目線を上げれば、傾斜地に点在する家々。

佐藤さんお気に入りの深田池公園にあった時計。「こんなレトロなデザインが現役とは。この街に住んでいたら、毎日でも散歩したい公園です」

「この山肌と家々の織りなす風景に無性に惹かれるんです」と佐藤さん。それは生まれ育った瀬戸内海や、幼少期に毎夏過ごした親戚の家がある広島・呉の風景に重なるという。「山と海に挟まれて生きる人たちの、独特の土地の使い方ですよね。無性に懐かしい気持ちになります」

深田池公園の先にある、大きなカーブを描く坂道。ここは佐藤さんが最も強く、阪神間モダニズムの豊かさを感じる風景。印象的なブロック壁の建物は、1970年に建築家の清家清が設計したもの。

自身を“原風景マニア”と呼ぶ佐藤さんは、これまでも関心の赴くまま様々な土地を訪れてきた。好きな作家の生誕地に足を運ぶこともあれば、会社のスタッフから聞く故郷の話に惹かれ、その土地を旅したこともある。そんな時、とことん歴史を勉強するのも佐藤さん流で、ここ最近、特に気になる阪神間エリアについても、既に2冊の専門書を読み込んでいた。谷崎潤一郎が大阪の船場や芦屋を舞台に描いた『細雪』の映画も、もちろん鑑賞済みだ。

深田池公園の隣にある〈蕎麦ふくあかり〉。灘の近くというだけあり、そば打ちに酒蔵の仕込み水を使っている。山椒ごまだれせいろ¥1250。 蕎麦ふくあかり 兵庫県神戸市東灘区御影山手1-4-20 ☎078-767-0810

「『細雪』は3度映画化されていますが、京マチ子が出演する1959年版が好みなんです。芦屋でロケも行っていて、当時の駅舎や阪急電車も映っているんですよ」

築80年以上の邸宅を改装した〈蘇州園〉。四季折々の庭が楽しめる。 ザ・ガーデン・プレイス 蘇州園 兵庫県神戸市東灘区住吉山手4-7-28 ☎078-851-3182(レストラン予約)

そんなことを教えてもらいつつ、御影を散策していると、立派な門構えの日本家屋が現れた。〈ザ・ガーデン・プレイス 蘇州園〉は1934年に建てられた旧財閥の大邸宅を改装したレストラン。見事な庭園を眺めながら食事を楽しめるのだが、驚くのは、これほどのロケーションでも観光地然としていないところ。

〈蘇州園〉で味わった地元食材を使ったランチコース¥2000 ~。

館内にはゆるやかな空気が流れ、近くに住むだろうマダム達が、優雅にお茶を楽しむ姿が印象的だった。

村上春樹も通った〈芦屋市立図書館打出分室〉。明治期に大阪に建てられた逸身銀行を移築したもので重厚な石積みの外壁が特徴。 芦屋市立図書館打出分室 兵庫県芦屋市打出小槌町15-9 ☎0797-38-7220

こうした阪神間の洗練された空気を愛した小説家は、関東から移住した谷崎潤一郎を筆頭に数多くいる。「遠藤周作や井上靖、山口誓子や黒岩重吾もそう。最近は村上春樹や小川洋子もいますね」と佐藤さん。「そうだ、村上春樹が通った打出の図書館にも行ってみたいんです」

〈芦屋市立図書館打出分室〉は村上のデビュー作『風の歌を聴け』に登場する図書館で、裏手には物語に出てくる“猿の檻のある公園”があるらしいと佐藤さんは声を弾ませる。

村上春樹の小説に登場する“猿の檻のある公園”とはここ〈打出公園〉のこと。今は猿はおらず、檻だけが残っていた。

到着した図書館は石造りの重厚な建物で、裏手には本当に〈打出公園〉という公園があった。かつて猿がいた檻が中央にあり、その周りで子供たちが無邪気に遊んでいる。「こんな公園だったんですね」と感慨深げな佐藤さん。「来てみたら想像と違うというのは、案外嬉しいことで、インターネットで知った気になってはダメだなと思う瞬間ですよね。檻の大きさとか、公園からはこんな角度で図書館が見えるのかとか。足を運ばないと知り得なかった風景に意味がある」

1933年竣工の〈御影公会堂〉は戦時中の空襲や阪神・淡路大震災にも耐え、住民の心の拠り所となってきた建物。地下には食堂が。 神戸市立御影公会堂 兵庫県神戸市東灘区御影石町4-4-1 ☎078-841-2281

佐藤さんの興味を数珠つなぎするように過ごした1日目。夜は有馬温泉へと向かった。車で六甲山を越える途中、高台から芦屋の街が見下ろせる。夕刻の淡色の空の下、家の明かりがぽつぽつと灯り始めていた。