教育ジャーナリストのおおたとしまささんは、中学受験、高校受験の現場も多く取材してきた。そこで出会ったのは、素晴らしい教育者や、学びを受けて生き生きとした子どもたちだけではない。「善かれ」「子どものために」と思いながらも、「誰の人生なのか」「誰が決める人生なのか」という視点が抜けてしまった親や教育者たちによる、「教育虐待」の現場も多く目にしてきた。

学校や受験の「良い部分」を知り尽くし、心理カウンセラーの資格ももつおおたさんだからこそ明確に見える「問題点」。多くの人たちに取材を重ね、一冊にまとめたのが『ルポ教育虐待 毒親と追いつめられる子どもたち』(ディスカヴァー携書)だ。「子どものため」のはずが、なぜ親に追い詰められる子どもたちが増えてしまうのか。その現実を知ることで、軌道修正は必ずできるはずだ。

刊行を記念して本書より、おおたさんが見てきた「教育虐待」の実情を数回にわたって抜粋掲載する。

「長男は医者、次男は弁護士」
と言い聞かせる母

大手不動産関連会社の営業職として活躍する40代の山崎晴男さんは、一度は有名中高一貫校に入学するも、高校の途中で退学した。教育熱心な親からの過度なプレッシャーが原因だった。

物心ついたころには「お受験」用の塾に通わされていた。国立大学附属の小学校を受験したが最後の抽選で落ちた。自身の感情として悔しかったのを覚えている。しかしそれ以上に強く記憶に残っているのは、母親が「6年後にもっといい学校に入るのよ」と言ったことだった。「まだ続くのか……」と途方に暮れた。

普通の公立小学校に進学すると、お絵かき、習字、水泳、テニス、バスケットボールを同時に習わされた。「勉強ができるだけではダメ」というのが母親の考えだった。決して間違った考えではないが、晴男さんには負荷が重すぎた。

家では母親が勉強を教えた。間違えれば手が飛んできた。小学校3年くらいから中学受験用の塾に通いはじめる。引き続き母親が付きっきりで勉強を見た。ミスをすると叩かれた。激高した母親に鉛筆で刺されてできた傷跡が、いまも晴男さんの手の甲に残っている。

塾をさぼって家出

晴男さんにとって勉強は、苦痛以外のなにものでもなかった。たしか4年生くらいのときに、「中学受験をやめたい」と懇願したが、「ここで逃げるのは負け犬だ」と母親に軽く却下された。母親が漕ぎ出した船から降りることはできないのだと悟った。 

早々に限界が来た。塾に行かなければならないが、宿題が終わっていない。逃げるしかない。塾に行くと言って東京都心の家を出て、そのまま山梨県の甲府まで電車に乗った。その日は甲府で野宿した。翌日帰宅すると、両親は無事を喜び、そのときだけは叱られなかった。 

学年が上がるにつれ、中学受験勉強はハードになる。塾が終わると毎日母親が車で迎えに来た。ダッシュボードには夕食が用意されており、帰宅するまでにそれを食べろと言われた。帰宅したらすぐに勉強しなければならなかった。それが異常であることは小学生の晴男さんにもわかっていた。

車の中もリラックスできる空間ではなかっただろう Photo by iStock

第一志望の有名中高一貫校に合格した。母親が泣いて喜んでいるのを見るのは、晴男さんにとっても純粋にうれしかった。どんなにひどい仕打ちをされていても、最終的には子どもは親を喜ばせたいと思うものである。これで一休みできると、ほっとした。