村田諒太、再起戦前に誓った息子との「約束」

「有言実行します。見ていてください」
週刊現代 プロフィール

家族との生活を守りながら、生きていく

負けて、己を知る。あの敗北があったから冷静に、客観的に、裸になった自分の心と向き合うことができた。本物のモチベーションを持てなかったことが、情けなかったパフォーマンスの一因になったのだと気付いた。

もちろん負けることがいいなんて思いません。ただ、自分を成長させるということでは、悪くはない

そんな気持ちを強くしたのが、ある本との出会い。読書家の彼が「自分のバイブルにしたいほど」の1冊だ。ローマ帝国の五賢帝の1人、マルクス・アウレリウス・アントニヌスが記した『自省録』である。

アウレリウスは王様だから何をしても許される。でも精神までそうなっちゃいけないと、まさに戒めとして自省しながら同じようなことを何度も書きつづっている。王様だって完璧じゃない。でも王様という立場になって、抱えた葛藤のなかに成長があったんじゃないかって。もがいているなって思いましたもん(笑)。ボクシングのチャンピオンは言わば王様。精神まで王様にならないよう、省みていくことで成長できるように思いました

 

心に残るフレーズがあった。「物事は外側に静かに立っている」という一節だ。物事に対する価値や意味をつけるのは自分次第なのだと得心した。

村田は言う。

きょうの出来事で言ったら、娘の幼稚園が大雨で休みになったんです。外は雨だから、たとえば僕が『娘と家のなかで遊べるからいい雨』と捉えるか、それとも逆に『外で遊べないから良くない雨』と捉えるかで全然価値が変わってしまう。お前ならどう捉えるんだ、とアウレリウスは問い掛けてくる

つまりは敗北もそう。その意味を己に問うことで、自分の回答を導き出せる。運命に導かれるように『自省録』と出会い、心に響いた。

自分にどこか隙があった、どこか完全じゃなかった。そこから逃げないで内省する。敗北という外側の物事はボクシングに対する己の姿勢、覚悟を問い質していた。

結局、自分はボクシングという仕事しかできないし、一番合っているからやっている。引退して何か起業してお金を稼いで、という生き方もひょっとしたらあるのかもしれない。でも自分はそうじゃない。不器用でもいいからボクシングを追いかけて、家族との生活を守りながら、生きていくだけ。社会に対する自分の存在意義って、そこだと思いますから。そのなかでモチベーションとなる餌を食べて、パワーを発揮していく

ブラントに借りをしっかりと返したいとする意欲こそが餌。前回の負けた試合では、体を立てた状態で戦ったため、パンチに体重が乗らなかった。頭を動かし、プレッシャーを掛けて力のこもったパンチを見舞っていく。今度の試合でやるべきことは分かっている。