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なぜ日本のメディアはこれほど「単純化の罠」に陥るのか

忖度・ワイドショー化・視聴率競争…

単純化するニュース、視聴率競争のTV番組、過激化する雑誌の見出し……そんな現代のメディア不信を予言した書がある。

それが『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ)だ。本の所持が禁じられた架空社会を描いたSF小説で、メディアの弊害・支配層の統治など、そのテーマは現代に重なるものばかり。

「60年以上前に、これが書かれていたことに本当に驚かされる」と語る高橋源一郎氏の重要な指摘を、新刊『支配の構造』より抜粋して紹介する。

高橋源一郎氏

大衆は「単純なもの」が大好き

『華氏451度』の中には、さまざまなものがどんどん「単純化」されて、人々の思考力を奪っていくという話が出てきます。

現実においても商業メディアは視聴率や売上を気にするあまり、どうしても「分かりやすさ」を最優先してしまうところがあります。

人々を覆う「メディア漬け」の状況はどのように生まれたのか。

 

写真術からはじまったメディアは、映画やラジオ、テレビが登場する中で、人々の心をつかんでいった。では、映画やテレビは、いかに大衆の心をつかんでいったのかというと、「単純化」です。

大衆はみんな単純なものを好むから、何もかもが圧縮され、どんどん短くなり、ダイジェスト化する。気の短い大衆の「自分たちの欲しいものをよこせ」という要求に応えることで、何もかもが省略され、速く、短くなっていくのです。

こうして、古典文学は1ページにおさめられる。映画のフィルムもスピードアップ。新聞記事は見出しの下に記事がたった二つ。

同時に、内容的にも分かりやすいものが好まれるようになっていく。さらに、その過程の中で、風変わりなものや少数派は嫌われるようになっていった。

学校の話も出てきていて、「修学年限は短くなり、規律はゆるみ、哲学、歴史、外国語は捨てられ」……まるで今の日本社会の話のように聞こえますね。